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日志


2009/3/3

笑顔

娘を怒らせてしまった、というか、傷つけてしまったのだ。
 
彼女の怒りは、解けるだろうか?
 
子供のご機嫌をとるつもりはない、
 
けれど、
明らかに、
私が、彼女の気持ちを傷つけたことで、
今朝になっても、彼女が、怒っている・不機嫌であるのは、私のせいだ。。。
 
もう、高校生。
小さい子とは違うから、適当に親が 親子関係に支配権(子供が小さいと、雰囲気的に、親は有利。)をもっているわけではない。
子供である 彼女に対して、いろいろ注意したいこともあるし、気になることもあるし、
うるさいと思われるだろうけれど、言わなくちゃならないこともある。
けれど、
相手の気持ちを傷つけてしまう・・・言動は、別だ。
 
そういうことは、わかっていたはずなのに・・・。
 
何が、辛いって、
 
娘が笑わないこと。
 
私に対して 怒っているとか、何か抵抗しているとか、、、それは わかるのだけど、
 
娘の笑顔が 見れないのは、とても せつない。
 
ついつい
余計なことを言ったり、勘ぐったりして、 あの子の気持ちに 水を刺してしまう・・・
 
それに、こちらの 不機嫌な気持ちを そのまま あの子に ぶつけてしまうこともある。
 
昨夜は、「おやすみ」の一言が言えなかった・・・。
 
ごめんね。
 
ママは、もっと 大人にならなきゃね・・・・。
 
口喧嘩したり、不機嫌になったりしても、夜寝るときは、仲直りをしよう、、、 そう思ってきたのに、、、、。
 
 
険悪な雰囲気が伝っていたにもかかわらず、
少ししてから、
 
「おやすみなさい」
って 言ってくれた一言に、
「おやすみ」
と、返さなかっただけで、
こんなに つらい気持ちになっている。。。
 
元気に学校から帰ってきてくれれば、、、まあ、それだけでも いいか~ 
あまり 欲張ってもいけない。。。
 
そう思いつつ、
元気に「ただいま~」と 声をかけてくれるのを願っている。
 
2008/9/25

人を育てる・・・子育て・・・

電車の中で、バギーに乗った赤ちゃんを見た。
小さな頭を あちこちに動かして、あれこれ興味津津・・・・という表情で見ている。
小さな子ども、赤ちゃんを見ると、いつも思う・・・。
人間を育てるっていうのは、とても たいへんなこと。
 
気が遠くなるような 時間と手間が かかる・・・、
人として 生きていけるように 成長させるには、そう、あらゆる面から、時間と手間とが 掛けられることになる・・・・。
子育ては、たいへんだ。
ミルクを飲ませ、おむつを換え、たまに だっこして あやせばいいというものではない。
 
赤ちゃんを、、、人を ちゃんと育てるというのは、本当に 大変なのだ。
子供を育てる間に、そこから 与えられる 楽しみ、喜び、も もちろん ある。
愛情をかけて 育て始めたら、 それこそ、その存在・・・子供なしでは、 生きていけないと思うほど 子供は大切な存在となる。
しかし、、、、
楽しいことが たくさんあろうとも、 よろこびを感じることが 多々あろうとも、、、、
人を育てる・・・・ これが 一大事・・・・ 大事業であることには、変わりがない。。。。。
 
愛情だけで ご飯は食べられないし、衣服だって 魔法のランプをこするようには 現れない。
一方で、 お金があっても、豪華な服を着て、モノを食べて、一流の教育を受けても、
愛情がなければ、”人”として 生きていくのに十分な糧を 心(精神)に 得られない。
 
「親がなくても子は育つ・・・」
そう、確かに、そういうこともある。
とはいえ、 だからといって その子に手をかけなくても 人間らしく 育つというわけではない。
心して かからねばならないのだ。
 
親(大人)の思うように 育てることは 簡単だ。
が、 だからといって 大人の思うように “育つ”とは 限らない。
素直に育ったと思っていたら、突如 爆発して 周囲を傷つけるようなこともありえる。
親(大人)は、子供の成長に関して、、、、人として育てることに関して、責任を負っている。
が、子供の人生を“所有”しているわけではない。 あくまで、 預かりものなのだ。
子供は、「好きで こんなうちに 生まれてきたわけじゃない」と 嘆くこともあるが、実は、それは まったくの誤解だ。
子供は 親と環境を選んで生まれてくる。
親も、その子を 子供として 受け入れ、その子がその子らしく、人生を まっとうできるように 育てるということを了承して 迎えれている。
それゆえ、 親(大人)には、子供を その子らしく、うまく (朝顔が朝顔らしく、ひまわりがひまわりらしく)育つように 育て、見守り、与え、導く 責任があるし、
子どもには、自分が選んだわけじゃないなどと 悪態をつくのではなく、逆に、親に 育つ環境を与えてもらっているのだと感謝をする気持ちがある方がいい。 
それだから、、、
親は 子供を 自分の思うとおりに、自分の所有物のように、自分の人生の延長のように 考えない方がいいし、
また、じゃあ、子供は了承しているのだから、、、といって 親が好き勝手をしてもいい、ということにはならない。 
ただ、なんにしても、“子供は、親をみて 育つ”。。。 
それが 何であれ、その親のもとに生まれてきた 理由を 自覚していなくても、そうとは知らないまま 必要なものを ピックアップしていく。
それゆえ、、、、大人が まずは、自覚する必要があるのだ。
いったい、子供を どう 導くのか・・・。
 
できちゃったから、、、命が大事だから、、、 産めばいい・・・~ 嫌でも子供は育つ、育てなくちゃならないのは、仕方がない・・・。 
育てられなかったら、誰かに 養子に出せばいい、欲しがってる人がいるだろう~~~。
そんな 簡単なものではない。
疎まれながら生まれてきたことを 知る時の子供の気持ちを、 偽善的な大人は考えたことがあるのだろうか?!
命があれば、生まれてさえ来れば、それが 一番大事。
いや、違う。 
愛情のない 選択だ。 命優先ではあっても、愛情は、ない。 愛のない、無責任というものだ。
 
そう、考えれば考えるほど、育児は大変だ と解るはずだ。 
ではあるが、 “人を 育てる”、、、、というのは、私たちに課せられている 極めつけの喜びという名の実のなる耕作事情なのである。。。
耕作し続ける 自覚が ない限り、、、、喜びよりも 苦しみが多いかもしれないが。。。
あかちゃんの 瞳は、そして 感覚は、 素直だ。  何でも吸収してしまう・・・。
私は、その素晴らしい未知なる可能性を みるとき、 人を育てるということの 宇宙にも匹敵する 計り知れない困難と、無限の喜びに 溜息をつく・・・。 
 
2007/7/6

お弁当

今日で、娘の一学期、、お弁当の必要な日は、お終いだ。
来週、月曜日は、試験前なので、4時限で終わり。我が家は通学に一時間半、かかるので、帰宅してから昼食というと
ちょっと遅いので、もしお腹が空いてたまらなかったら、途中、新宿駅あたりでオニギリ一個くらい買ってもいい、と思うのだが、
とりあえず、”お弁当の要る日”というのは、今日でお終い。
火曜日からは、期末試験だし、夏休みに入ったばかりの1週間に予定されている進学講習(英語の特別授業)も、午前中なので、お弁当は要りません、と
先日の父母会で担任の先生が言っていた。
あ~ ! よかった・・・・。
だから、来週月曜にしても、進学講習などで学校へ行く必要のある日でも、もし軽く何か食べたいとなったら、
”おにぎり”の一個でも、サンドイッチの一切れでも、持っていけばいい。簡単で済む。
 
思い起こせば、我が家は、幼稚園では ランチ付きだったものの、小学校から、ずっと お弁当だ。
日本に帰って来た小学校6年生の 二学期&三学期のみ、学校給食の恩恵に与ったが、ひと月5千円弱の給食費で
(=一食あたり、250円前後?!)お弁当代わりに ちゃんとしたものを 食べさせてもらえる、しかも、日替わりというのは、
本当に 便利で ありがたいものだ。 特に、仕事をしているお母さん達にとって、朝の忙しい時間、お弁当作りがあるかないかでは、
大きな違いだし、どうしても自分の家でのお弁当となると、その家の好みや子どもの好みで弁当の中身が偏ることもあるので、
栄養を考えて献立が作られる給食は、本当に 優れたシステムといえる。
だから、私は、給食の利点も認めるが、”どうしても 学校給食が必要だ” と、大声を上げるほどではない。
給食が、なければないで、自分がなんとかするまでだ・・・と、長年思ってきたからだろう。
それは、小学校のほとんどを過ごした外国では、日本の”お弁当”ほど、飾る必要もないし、その中身や見た目で、あれこれ
詮索されることもなく、気楽にお弁当・ランチを作ることができた、ということもあるだろう。
日本のお弁当は、幼稚園時代からして、大変だ・・・ 子供が喜ぶように、カワイイお弁当、キレイなお弁当、そういう”お弁当作り”の
How To が、イヤと言うほど世間には出回っている。 あれを考えると、私は、作る気が失せてしまう。昔は、私も、そういう本を2,3買った
ことがあり、ヒントになる献立もいろいろあったので、役立つということは認める。
しかし、そうやって 見た目もかわいく、キレイに & 栄養を考えて~と手の込んだお弁当を作ろうとすればするほど、場合によっては、
弁当造りは厄介で、手間のかかる面倒な物になる。お弁当作りに時間を掛けられない人の場合は特にそうだ。
”手早く出来る”などというレシピもたくさん紹介されているが、いつもちょうど良い食材が台所に揃っているとか、理想どおりに作れるわけではない。
せっかく作っても、もし、子供が残してくるとガッカリするし、せっかく作ったのに・・と、お弁当を残してきたことに、イライラしたりする。
お弁当の中身を残すのは、それこそ子供にも、いろんな事情があるだろうが、こういった場合を含めて、お弁当一つで、
時間も精神的余裕も失われるとなると、余計に、弁当よりも、給食が便利、、、という方向へいってしまうように思うのだ。
だから、お弁当は、”かわいく&キレイに、食べやすく、栄養バランスを考えて~”という理想はあるだろうが、そうでなくてもかまわないじゃないか、
くらいの気持で私は作ってきた。
 日本のお弁当に比べると外国にいたときの娘のお弁当は、本当に シンプルで、栄養のバランスも良いとはいえないかもしれないが、それでも、
クラスメイトとあれこれ弁当を見せ合っても、(日本みたいに、かくして食べるという必要もないほど、みんな シンプル度さまざま というタイプの
ランチだから・・・)平気で、食べてきてた。 
自分が苦手なものと誰かのものを交換するなど、子供なりに、ランチの時間は、それぞれのお国事情も判って、なかなか面白いものだ。
 死亡事故が起こって以来、幼児に与えるのは・・・と問題視されている こんにゃくゼリーは、小学校の時のお弁当に入れると、いつも人気があった。
あれは、凍らせておいて、ランチに一緒に入れると保冷剤代わりになるので、便利だったのだ。
栄養のバランスを考えると、日本の給食や、”How To”本に代表されるお弁当は、他の国の子供たちが持ってくるお弁当よりも、
優れていると言えると思う。
が、それでも、いまでも、私は、あれほど お弁当にこだわる必要はないように思う。 とはいえ、今の娘の話(高校生)を聞くと、「うちのお弁当が1番、
色合がキレイだよ、って、みんな言うよ。」というのだが、それを思うと、結局、”キレイでカワイイ&食べやすく、栄養バランスの考えられた”お弁当と
いうのは、意外と作られていないのかもしれない・・と最近、思う。まあ、幼稚園生と高校生を比べたら、幼稚園ほどの工夫を高校生には、
しなくてもよい、ということなのかもしれないが・・・。 
海外での小学校の間ずっとお弁当で、 帰国して後、入学した中学校は、私立だったので、こちらも、”お弁当” だった。
「ああ、またお弁当か~」と正直、思った。
ただ、この学校は、中学と高校が、(短大&大学校舎とも同じ敷地)連立しているせいもあり、生徒が利用できる食堂もあったので、どうしてもお弁当を
持っていけない場合は、食堂で食べるという選択が出来た。娘も、この食堂のとんこつラーメンの大ファン!だった。  ラーメン一食、400円ほどなのだが、
これに、何か飲み物を買うことを想定して、食堂利用の際は、500~600円、持たせていた。確かに、便利で、けっこう多くの生徒が頻繁に食堂を
利用しているらしかった。が、とんこつラーメンと”お茶”1本、という献立は、はたして、栄養バランスが良いのか?!・・・ それは、疑問だ。 
結局、お弁当や給食の栄養バランスも大事かもしれないが、普段、朝食&夕食を含めて、全般的に 子供が、どういう食生活をしているかを計るのが
重要だと考えれば、外国のような一見、”バランス悪そう”なお弁当・ランチボックス〔リンゴ、チーズを挟んだパン、ポテトチップス、ぶどうジュース〕とか、
〔(前の晩の残り)ピザ一切れ、フィッシュフィンガー(白身魚のフライ)オレンジジュース、〕 〔(汁気をなくした)2minutes ヌードル、ドリンク〕であっても、
それほど懸念する必要はなさそうだ。 
 そして、今、高校でも、お弁当だ・・・。
私は、小学・中学校ともに 学校給食で育ってきたので、まさか、自分が子供に小学校から ずっと~弁当作りをするようになるとは、想像していなかった。
自分が高校の時、はたして どんな弁当を作って?もっていったのか?それも、記憶に薄い・・・学校内の購買で、パンを買ったりしていた記憶は、よくあるのだが・・・。 
そう、我が家の娘の通う高校には、購買はあるものの、食品はほとんど置いてないのだそうだ。せいぜい、カロリーメイトくらい・・・
そして、飲み物は、自動販売機。「パンの注文を毎朝、取ります」、と学校側は言ったが、娘がいうには、覗いてみたことあるけれど、
あまり食べたいと思うようなタイプのパンはなかった・・・とのこと。ゆえに、中学の時みたいに、「お弁当じゃなくていいよ」とは言わない。
そういうわけで、お弁当作りは続いている・・・。が、明日から 9月まで、しばらくは お弁当は オヤスミ! ほっとしている怠け者の母なのである・・・。
 
 
※娘の通う高校では、駅から高校の間にあるような 朝、近所のコンビニは利用しないこと、と通達が出されている。
以前、朝、急いでいる生徒たちが、お金は、レジカウンターにおいて行くものの、どの商品を買ったのかを 見せないで店を出てしまうことが
多く、お店側としては、ぴっ!と、バーコードなどで 売り上げを記録しなくてはならず、たいへん困った・・・・・。
”お金があるようだけれど、商品が消えている・しかも、どれがいくつかわからない”、これは、店側のレジでは、紛失・万引きと同じ処理になるので困る、
ということで、もし、弁当ではなく、何かを買って持ってくる場合は、地元で買ってきて欲しいといわれた。が、朝、通学電車の中、コンビニに寄る時間も
あまりないし、コンビニの袋をさらに持って電車に乗るには、大変だろう、と我が家では、極力 弁当を作ろうと思ったわけである。
 
2007/5/10

モノは使いよう 「怖いもの」

「てるてる 坊主」の歌の三番は、最後に、晴れなかったら 「首を ちょんと 切るぞ~」 となっている。
考えてみたら、子供のしつけ・親子関係とか、大人同士の人間関係とか、そういうものにも、「こちらの ニーズ・期待に 沿わない場合は、・・・
どうなるかわかってるよね~」と脅すような、ギブ&テイク が 当たり前になっているのではないか・・・と思う。
 親から子供への 愛情というのは、そもそも 無条件というか、子供が何をしても・しなくても、親が子供を可愛がる気持ちは変らない、そういうものだと
思うのだけど、
この脅し文句のような ギブ&テイク、”いい子になっていないと、◎◎買ってあげないよ。”、”今度のテスト、△点以上なら、ディズニーランドに
連れて行ってあげる”、 ”私のこと好きなら、 ◇◇して!”、 ”お母さんの言うこと聞かないと、もう、知らない!そんな子は、うちの子じゃない!” など、
それらの使い方次第では、子供の心に 「相手の望み・期待どおりに しなかったら、自分は 愛してもらえない、怖いことが起こっても助けてもらえない~、」
というような印象を与えることになる。 これは、とっても、まずいと思う! 
きちんと躾けなくてはならないが、さりとて、 「親に叱られたとしても、親に反抗したとしても、親は自分の見方で、自分を愛してくれている、」 
そういう安心感が大切だと思う。 愛されているという目に見えない 毛布のようなもの。。。
それが、基礎となり、たとえ 友達とケンカすることがあっても、行き違いがあっても、うらぎられるようなことが多少あったとしても、人を信じることができる、
誰かに助けてと言える、 他人のことを考えられる、そういう気持ちの余裕が持てる子供になるのではないかと 思う。
何をしていても、自分は愛されているという自信があると、焦って 誰かと競わなくても、 誰かを蹴落とさなくても、 自分さえよければ!と思わなくても、
自分の居場所があるとことを知っているのだから、周りを見る余裕が出てくる・・・そういう気持ちのゆとりが 他者への思いやりにも繋がると思う。
 
さて、昨日のある夕刊に、ゲゲゲの鬼太郎の原作者、水木しげるさんの話として、「妖怪でしつけ」という見出しがあり、
「昔は、恐怖心を利用して、子供を教育した」 と載っていた。 
あれ、まあ?! 「てるてる坊主」だけじゃなく、妖怪まで出現して、「いい子にならないと、怖いぞ!」というのか、と思って 読んでみたら、
そういった 「期待に応えることによる 自分の居場所確保& 実現できなかった時への恐怖心 」とは 少し違っていた。
 
この場合の 恐怖心というのは、 ◎夜遅くまで、ひとりで フラフラしていると ”野寺坊”(オバケ?)が出てくる、 = 「暗くなる前に、早く家に帰りなさい。」
◎廃屋をうろうろすると、”白うねりというオバケ”が出てきて首に絡みつく = 廃屋は危ないから近寄ってはいけない、  
など、身の危険や、状況判断に一役買う注意を促すタイプのものだった。 
水木さんに こういうオバケの話をしてくれたのは、近所のおばあさんだったという。
また、水木さんは最近は、夜といっても、電気の灯りじゃあ、そんなこともできないね、と話されていたが、 こういったものは、
子供にとっては、怖いものでも、この場合は、恐怖心を利用というより、日常生活から身をもって体験するもの、といった感じがすると思う。
◎寒い時には、上着やコートを着て行く = 風邪を引かないように、、そういうタイプのものだ。
◎コートを着ていかないで 風邪を引いても、お母さんは、知りませんよ! というのとは、違う。
 
我が家も、娘を早く寝かせるために、 夜遅くまで起きていると、ム~が来る!と よく娘に言ったものだ (これは、パパのアイディア)。
ム~ というのが、どういうものか、わからないケド、なんとなく 怖そう・・・そういうイメージで、娘は布団に入るわけだ。
そして、布団に入ったら、音楽を聴いたり、絵本を読んでもらったりする時間になり、布団の柔らかさとか、そういうものが包んでくれる・・・。寝るまで、ママもしくは、パパが 側に居てくれる。だから、寝る方が楽しい=心地好いこと、となったようだ。
 
水木さんも話しておられるが、昔は、目に見えないもの、の存在が、大きかった。 昔の田舎などは、特に 灯りが少なくて、夕・夜は周りがよく見えない。
しかし、見えないからといって、そこに 存在しないわけじゃない。 たぶん、でこぼこ道の 穴とか、田んぼのあぜ道脇の水路とか、向こうから歩いてくる人とか、、。
今は、同じように ”目の前に見えないもの”といっても、バーチャルな ものばかりに関心がいっている。 そのバーチャルなモノは、こちらの コントロール、操縦・ボタン操作一つで、こっちのいうことを聞くわけだ。また、ゲームなどで望みどおりの結果にならなくても、リセットできるし、こちらの勝手に、スイッチを切ることだってできる。 目の前で繰り広げられているものでも、”目の前の現実”ではない。 ネットのチャットなども、目の前の相手ではないから、相手がどういう人か、本当の姿を知らずに、怖い面もあるが、こちらがパソコンを閉じてしまえば、お終いだ。 
同じように ”目の前に見えないもの” でも、影響が与えられる心理作用は、かなり違うと思われる。
 
目に見えなくても、存在している・・・  とはいっても、自分が コントロールできる、と勘違いされる バーチャルなものと、
妖怪のような自然に根付く、こちらがコントロールできないもの、とでは、大違いなのだ。
 
「てるてる坊主 照る坊主、明日 天気にしておくれ~♪」 ・・・ 祈る気持ちは解かる。 期待をかけてしまう、それも解からないじゃない。
しかし、たとえ、明日が晴れなくても、運動会で一等賞になれなくても、親の期待通りの受け答えや行動が取れなくても、期待されている大学へ入れなくても、 
それでも、親は、子供を信じているよ、居場所があるよ、愛しているよ、、、そういうメッセージを子供に伝えたい物だ。
親の愛情も、目には見えないかもしれないけれど・・・。
学校の先生との関係も、友達同士の関係も、成長したら、恋人同士や、会社の同僚、社会に出てからの友達との関係も、 ギブ&テイク だけに
終わらない、信頼の持てるものになって欲しい。 
こちらの期待、あちらの望み、それが たとえ 叶わなくても、相手を切り捨てたり、排除したり、虐めたりすることのないように、子供のうちから、
”自分が愛される・必要とされるためには、相手のニーズに沿うことなのだ ”、と思い込まないように、脅しも、よく考えて使いたいものだ。
怖~い オバケや妖怪も、人間を脅すだけに 存在するわけじゃない、 考え方・使い方一つで、 仲良くもなれるし、怖い遠い存在にもなる、そういうものだと思う。
 
2007/3/3

大好きだよ~~~

約一月前、娘が受験した。
今、通っている中学は、私立の中高一貫なので、そのまま 高校へ進むこともできる。
一応、三年生の終わりに、高校入試で 新たに入ってくる生徒と同じ試験問題をすることになっている。
よほど成績が悪いと、呼び出され、注意され ( ・・・その後は?)るらしいが、
あとは、高校へ行ってからの、本人のやる気次第だろう。
中学の先生方にしても、自分達が送り出した生徒達が、高校入試で入ってくる生徒達に比べて
学力の差が、(中学から進む生徒のほうが、”受験”がない分、少しのんびりしている、ということ。)
あまり出てしまうと、困る、ということもあるわけだ。
しかし、娘は、あえて 違う高校へ行くことを 選択した。
理由は いくつかある。
が、あえて 一つ、いえば、 高校に行くと、完全に 大学受験を ベースにした 受験勉強という雰囲気になる・・・
(どこの 高校も、そういうことは 多少の差はあれ、あるだろうけれど。。。) 
そして、英語も、、もちおん、 日本の受験英語が 中心になってしまう。
今まで(中学)は、 独自の方法があったので、 いずれ 受験にも対応できるとはいえ、それ以外の 英語教育(使える英語)が
中心だったのに・・・。 
それで、だったら、受験とは 切り離せないまでも、 使える英語を そのまま 生かせる高校の方が、好い・・・ということがあり、
別の高校を トライすることにした。 
もし、希望した高校に 合格できなくても、もう これまでの中学の”高校”へは、戻れない・・・・。
いくらか 悩んだ末、彼女は、それでも、色んな理由を総合して、 出るほうを選んだ、、、多少のリスクは覚悟して・・・・。
 
結果・・・
第一志望は、 不合格になった。
さすがに ショックだったようだ。
合格発表を一緒に 見に行ったのだが、、、、 慰める言葉がない・・・ というのは、ああいうことを言うのだろう。
「こういう 高校があるよ、 どう?!」 と、持ちかけたのが、私だったゆえ 余計に・・・・。
もし、私が、別の高校という オプションを言い出さなければ、 もしかしたら・・・そのまま 中学→高校に留まっていたかもしれない。。。
こんな 余計な 辛い気持ちを 味わうこともなかったかもしれない・・・。
(( 我が家は、もしかしたら、また外国へ出る可能性もあるので、 高校丸三年間を 日本で過ごすとは、限らない、、そういうことも
含めて考えてみた結果ではあるが・・・・ 外国へでるのなら、多少の不満はあっても、このまま 慣れた同じ学校で 過ごすのも悪くない・・楽だろう、
そういうことも 考えたりした。  ))
別の高校というオプション・・・ この水を向けたのが、私だっただけに、私も、 ため息・・・ばかりだった。
一緒に 落ち込んでばかりもいられないので、 私は、別の高校を捜し始めた。
( ”滑り止め”を探して置くようにという 中学の先生の助言どおり、ひとつ 探したのだが、 説明会などにいって、合格はdけいるだろうが、
少し 望んでいるタイプとちがう・・・ と娘も感じたようで、 そこは あまり 乗り気ではなかった・・・。)
どこでもいいから、行ければいい・・というのではなく、行くからには、 行きたいと思う理由がある場所、に 行く、、、というのが 娘と私の共通した ポリシーであったので、もし落ちたら・・・ということは、初めからは、あまり考えなかったのだ。 もちろん、通学できる範囲・・・。
 
それから 二週間・・・ 幸いにも、 希望に沿った 英語のクラスに 特別なタイプが 設定された高校がみつかり、そこは、 合格できた。 
第一志望とはちがい、制服のある学校で、ピアスも だめ、みたいだが、多生の妥協はしかたがない・・・・・。
もうすぐ 中学は卒業ということで、 (来週は、学年末テスト) 友達との 思い出作りなどを 考えている今日この頃だ。
 
ところが、昨日・・・ もうすぐ 高校・・・そうすると (転勤などで 引っ越す子もいるし、数ヵ月後に留学が決まっている子もいる) お別れだね~ と
言う話が 英語の授業中 (英語の アドバンスクラス) に出たとき、、、ある女の子が、「私も違う高校へ行く、、、」と言った・・・。
「どこ?」と 聞くと、 娘が不合格になった高校だった。
「え~、わたし そこ、落ちたんだよ~」と、 娘は、何気なく軽く 流してみたらしいが、心境は・・・・複雑だったらしい。
 
私に早速、むすめから 携帯電話のメールが来た。 
「ちょい、複雑・・・」 と。
 
帰宅後、、 私からは、その話を出さなかったが、 ついに、、彼女が話し出した・・・・。
ひとしきり、「いいなあ~」などと 愚痴っぽい話をしたあとで、、、
そして、、、、彼女は 泣いた・・・・。
「私も 行きたかったよ・・・。 悔しいよ・・・・。」と。。。
 
 ☆親としては、行かせてやりたい・やりたかったけど、 単純に成績を比較したら、その合格した子は、コンスタントに 良い成績を
取っていたので・・・ もし 成績で ラインを引かれた結果だとしたら、しかたがない・・・。 娘が受けた試験は、「書類選考・成績表」と、
面接なのだ。 が、面接は、僅か 5分弱で、 娘いわく、「男の先生二人だったけど、私に 興味なさそうな雰囲気だった・・」と言う感じ・・・。
「中学などで いろいろ(思ったように成績が伸びなかった子、 馴染めなかった子) あったとしても、高校から がんばろう、 これまでのこと(個性)を生かして、やっていこうという子を応援します・・・、帰国してから「国語」に馴染んだことのない生徒、日本の地理や歴史や 数学のやり方が初めてでも、そういうのを踏まえて指導します、、。」 という説明会の 言葉に 私は、望みを託した・・・ (帰国してから、日本に慣れようと 努力しつつ、でも、納得がいかなかったりして、ストレスがたまり、確かに、勉強には集中できない 三年間だった。) 、娘が、やる気さえだせば、また、基礎から指導してもらえる態勢がここにはある、と。
しかし、今年は、 想像以上に倍率も高く (これまでの 3倍以上。)、 もしかしたら、 面接の前に、書類で ある程度、振り落とされていたのかもしれないなあ~
学校としても、 いくら、色んな子を指導すると言っても、 何かの基準で 線引きをしなくてはならないだろうから・・・と、娘にはいわないまでも、
私は、そう自分に言い聞かせた。  
娘の友達の、、その合格した子が、 同じタイプの 受験だったのか、 科目の筆記試験(一般入試)で 合格したのか?
それは、判らないが、、、。  (その高校の説明会場や、入試関係の日には、一度も 見かけなかった。)
 
 
娘は、泣いて・・・ 「行きたかったよ~」 と・・・・  しばらく、私の腕を 叩き続けた・・・ 少しは 気が晴れたようだった。
これまでの 三年間を悔いても しかたがない・・・。
ママは、知ってるよ。 あなたが、 自分なりに、 努力したこと。
嫌な 夏休みの宿題も、 (責任感はそれなりにあるから・・・) いや嫌ながらも、 ちゃんと提出したこと、、。
不真面目な 男子に 怒りながらも、 合唱コンクールとかの 行事も、がんばったこと。
親友が 豪州へ帰ってしまって、 英語で話せる友達が いなくなって とても寂しかったけど、他の友達と 仲良くしようと
学校での 過ごし方を自分なりに工夫して 楽しんできたこと。
勉強は 嫌、テストもキライ!と 言いながらも、 先生方には、正直に向き合って、 可愛がってもらったこと、
テストはキライでも、授業は まじめだったこと (先生方のお墨付。)
ママは、知ってるよ・・・。
だから、
悔しいよ、と 涙を流しながら、でも、 いじけない あなたが 大好きだよ・・・・。
 
「 It's not what happens that determines your Life - it's what you do about it.」  なんだよ。 
 
何が 起こったか、で 人生が決まるのではなく、 そこから、それから、それを あなたがどうするか、 それ次第なのだ。
 
人生まだまだ これからだよ。
高校受験では、ちょっと 回り道、、 不本意なことも あったけど、
これから、、がんばろうね!  ママは、いつも あなたの 見方だからね・・・。
I  love You!!!!!
 
2007/2/15

さて、その理由は?

日本の子供、最も孤独 先進国と比較  [ 02月15日 10時19分 ]
  共同通信  

 【ロンドン15日共同】日本の子供は「最も孤独」-。国連児童基金(ユニセフ)が14日発表した先進国に住む子供たちの「幸福度」に関する調査報告書で、こんな実態が浮き彫りになった。先進25カ国について各種指標を比較。子供の意識に関する項目の中で「孤独を感じる」と答えた日本の割合は29・8%で、2位のアイスランド(10・3%)以下、フランスや英国などに比べ飛び抜けて高かった。

     ----------  ----------  ----------  ----------  ----------  ----------  
 
 さて、日本の子供達が 孤独を感じている理由は、なんだろう?
 
家族間の 結びつき? 
  ---たとえば、 塾や模擬、学校の部活動などへ行く時間は 優先されるが、家族とともに過ごす 夕食、休暇といったものは、それらの二の次になっている現代、無関係ではないと思う。
      ようやく最近、 「食育」の一環として、子供一人で食卓に向かわせるのではなく、誰か家人と一緒に食べるとか、みんなで話をしながら食事をするとか、そういうことも食事の大事な
      要素だと話されるようになってきたが、それでも 多くの子供が、お弁当を持って夜も週末も、塾へ出かけていく。 
      塾では、”友達”とお弁当を食べたりするのだろうが、それは、たとえば 遠足で友達とお弁当を食べるのとは、少し違うだろう。 しかも、週のうち半分以上が、そんな”遠足”では、
      楽しさも減ってしまうのではないだろうか。
 
学校で 信頼しあえる 友達がいない?
  ---たとえば、 イジメにあっていないとしても、携帯電話で 何人かのメル友と あれこれメールを交換しているとしても、本当に、本音を言える友達、ケンカしても、仲直りのできる
      友達というのは、どれほどいるのだろう?! 特別、親友同士と、決めていないとしても、自分のことを安心して話せる友達が、いると、思えている子供は、もしかしたら、少ないの
      ではないか・・・。
 
学校の先生 を相手に、(ため口で 話すというのではなく、)相談できたり、 親しく話ができる児童、生徒は、どれくらいいるだろう?
ネットで、どんなに 目の前の世界が広がっても、自分の目の前に居る人間と、直接、話したり、関わったり、知っている人と電話で直に話をしたり、そういったコミュニケーションが
やはり足りないのではないだろうか?! 
駄々をこねる子供も、増えているように思う。 周囲の目を気にして、叱る・怒ることはあっても、その理由が本当に その子のためなのか? 判らないような叱り方、怒り方をしている
家族・親が多いようにも思う。 なかなか 親の言うことを聞かない子供は、周囲から見ていて、親子、どちらにとっても、気持ちの良いものではない、が、
それは、もしかしたら、 駄々こねた分だけ、親に、何かを買ってもらいたいとか、甘やかして、好きにさせて欲しいというのではなく、
ただ、真剣に向き合って欲しいという シグナルなのではないだろうか。
 
テレビ、ビデオ、DVD,携帯電話、ゲーム機、インターネットといった 機械が溢れる社会、モノは豊かになってきたけれど、
そして、小学生でも、携帯電話を持っても不思議じゃない現代の日本社会だけれど、& 家庭の中、子供達には、何か別の、足りていないものがあるのではないだろうか。
 
何が原因・理由なのか、専門家ではない私は、推察するだけだが、やっぱりなあ~と 思ったニュース記事だった。
 
 
2006/11/20

好きだよ

私は、毎朝、娘が登校していく姿をベランダから 見ている。
 
今朝は、雨だった。
 
大きな紺色の、私の傘を持って、歩いて行った。
 
すると、表通りに出る前に、ベージュ色のコートを着た誰かに呼び止められたのか、、、
はたまた知り合いなのか?  
今度は、一緒に歩き始めた。
 
同じ団地に住む、友達に会ったのだろうか? いや、そんなそぶりではない。
 
いつもは、すぐそこから、道を向こう側へ渡っていくのだが、そこでは、渡らず、そのまま表に出たところを左折していった。
 
もちおrん、左折のまま 数十メートルいくと、横断歩道があるので、そこでも、向こう側へ渡れるのだが・・・。
 
そうして 見ていると、その横断歩道のところで、彼女は、向こう側に渡った。
 
いっしょに歩いて来た人は、さて、何処へ行ったのだろう? 渡らずに、さらに 向こうへ歩いて行ったようにも
見えないし、かといって、娘が夏に通っていた公園の方にも、そのベージュのコート姿は見えない。 
 
まあいい、。 娘は無事、道のあちら側へ渡ったようだ、学校方向へは、ちゃんと 行ったようだ・・・。
 
 
後で、学校に着いた娘から 携帯電話にメールが届いた。
 
あれは、間違って団地の敷地に入ってきた人が、近くの、ある建物の場所を尋ねたため、入り口を教えるために一緒に歩いて行ったのだそうだ。
 
なるほど・・・だから、ベージュのコートは、途中から、見えなくなったのだ・・・。
ちょうど木の陰で 死角になるあたりに、その入り口がある・・・。 入り口というより、実は、裏門なのだが・・・。 インターホンで尋ねれば、中に入れただろう。
 
娘からの連絡を読んで 余計な心配をした自分が、おかしかったが、それよりも、嬉しさがこみあげてきた。 
 
ためらわずに、すぐに 親切ができる、そういう貴女が 好きだよ・・・、そう思った。
 
今日、帰ってきたら、そう伝えて、しっかり ハグ してあげよう!   
 
 
 
 
2006/11/16

嬉しかったこと

 
 【 PAY  IT  FORWARD 】  邦題 =『ペイ・フォワード(可能の王国)』という映画をご存知だろうか? 
 
私は・・・・昨夜まで 知らなかった。 
 
ただ、内容を聞いてから、「どこかで 聞いたことのある話だな・・・」とは思ったが、これまで、そういう映画があるとは知らなかった。
 
知らない方のために、ちょっと 解説・・・。
 
 
これは、
 
11歳の少年が、社会科の授業で「世界を変るために何ができるか」という課題が出されたことをきっかけに、あるアイディア="ペイ・フォワード" を思いつく。
親切を受けたらその相手に恩返し=“ペイ・バック”するのでなく、別の誰かに厚意を贈り、善意を先へと広げてゆく。それが“ペイ・フォワード”のコンセプト。
彼は、まず三人に親切をし、その三人が、さらに別の三人へ・・・と考え実行に移していく。そして~~~~~。 という物語だ。 
 
 
なるほどな~と、思った。
これは、私の知人が、常々 話している ひとりのささやかな親切などの行いが、やがて 水面の漣のように ひろがって行く、ということだと思った。
すれちがった見知らぬ誰かの笑顔で、救われることがある。そんな小さなことであっても、だ。 
 
実は、私は、この映画の話を、娘から聞いたのだ。
昨夜、もうそろそろ寝ようかという時間になってから、娘が、「ママ~、ペイ・フォワードって知ってる?!」と・・・。
彼女が通っている学校はクリスチャン系なのだが、昨日は礼拝があって、そこである若い先生が、この話をしたのだとか・・。
ある意味で、キリスト教の柱とも言える 〔隣人愛〕を よく 表していると思った。
 
娘は、この映画を見たいという。
幸い、探してみたら、我が家で配信を受けている 4thメディア の映画(ビデオ?)の中に、これが含まれていたので、
じゃあ、今度 見てみよう、ということになった。 もう昨夜は、遅い時間だったし。。。
 
私は、とても嬉しかった。 
 
彼女がこの映画に興味を持ったこと・・・ではない。  ( ま、それも確かに嬉しいことではあるが・・それよりも・・・・・)
 
彼女が、そういう感想を持った今回の、こういうことを 私に 話をしてくれたことが、、 とても 嬉しかったのだ。
 
毎日、学校から帰ると、「今日は、どうだった? 何か 楽しいこととか 変わったこと あった?!」と 聞くのが習慣になっているとはいえ、
いちいち 何でも報告してくれるとは限らない。
だから、ふと、、、こんなふうに 彼女の日常(学校を含む)の中で 感じているものを 素直に 話してくれることを、とても 喜んでいる。
 
ありがとう! 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2006/11/6

子どもって・・・

 
子どもって、いつのまにか、
 
いろいろ  覚え、 考え、 できるようになって、
 
成長しているんだなあ~  
 
親の知らない所で・・・・
 
親が気付かないうちに・・・
 
そんなことを 考えた。 
 
もう、近年は、子どもに 頼ることだって ある。 
 
特に、私の場合は、 パソコン、ネット関係は、 娘の方が、 良く使い勝手を心得ている。
 
検索事項、検索処理こそ、私の方が まだ 彼女の助けになるけれど、
 
画面操作、文章装飾に 関しては、時代がちがうのか、と思うほど、 いろいろ 知っている。
 
学校で、習ったというだけではないとおもう、
 
パソコンに限らず、携帯電話も、また 編み物や お料理なんかでも、
 
親の知らないうちに、
 
さまざまな ものごとを 身に付け、 そして、使いこなしている。
 
今時の子は・・・というものなのか、
大人からみた 子どもは 何時の時代も、誰であっても、そうなのか?
それは、わからないけれど、
 
時々、どんなことを 考えているのか、 楽しみは?  嫌なことは? 
 
最近、悲しいことがあったのか?  友達のことで 悩んでいたりするのか? 困っていることは????
 
数年前に比べて そっくり そのまま 話してくれることは 少なくなった。
 
彼女の心のうちを 探ろう、 考えてみよう とするのだが、 なかなか どうして 思案に暮れる・・・ 
 
それが、10代の 半ばにはいりつつある 現在の 自然な 成長の姿・表れなのかもしれないが、
 
心を閉ざしてしまわないように、 周りを 頼ることをあきらめてしまわないように、 
 
自分を殺してしまわないように、 ひとりで かかえこんでしまわないように、
 
この時期を 無事に 過ごしていけるようにと 願うことしか出来ない、しかたないのだろうけれど。。。
 
少しでも 喜ぶ顔が みたいから、 ・・・・
 
裏目に出ることもあるけれど 今日もまた あれこれ 話しかけてみる、
 
なるべく すれ違わないように、、、同じ 方向を向いていたいと おもうから・・・。 
 
いつのまにか、
 
親が気付かないうちに、、、 親の知らないうちに、、、
 
子どもって、 前を歩いている、、、素知らぬ顔で 歩いている
 
ふと 立ち止まって、 振り返り、
 
「あ、ママがいた・・・」    
 
ああ、そこにいたの・・・・ うるさいなあ~ とか、大丈夫だよ、自分でできるから~、 
 
そんなふうに、こちらを 見ながら、
 
「実はね~。 ○○したんだけど~、◇◇欲しいんだけど~ 」
 
いつのまにか 親は、子どもの人生の ドラえもんのポケット みたいになっている・・・。 
 
まあ、それは それで いいのかもしれない。
 
二歳の頃の、 遊びに夢中になって 親の存在を忘れていた時に、ふと・・・「あれ?!」 と我に返り、周りを見渡し、
親の存在を 目の端で 捕らえ、また、安心して 遊びに戻っていく・・・
 
あの頃が、違う形で  戻ってきたような・・・・
 
そうだよ、いつも 振り返ってくれれば、 そこにいるからね、 
 
安心して、 好きなことしていいよ・・・・ それに、できることなら、勉強することも、覚えておいて欲しいけど・・・。
 
この冬は、どんな ものに 夢中になるのだろう・・・。
 
もうすぐ 誕生日が くるね。
 
元気に 大きくなってくれて、、知らず知らずに いろいろ  できるようになってくれて  ありがとうね。 
 
ありがとう。。。。。。、
 
2006/8/24

ことば と、義務教育低年齢化

先週、たしか 8月14日だったと思うが、「なぜ、戦争するのか?」というようなタイトルの番組があった。
 
その中で、子どもが戦中・戦後を経験した大人にインタビューする、というものがあった。
元プロ野球選手の、張本氏が、そのインタビューに応えていたとき、気付いたことがあった。
 
インタビュアーは、子供と言っても すでに中学生なので、「おこちゃま言葉」で答える必要は
ないわけだが、しかし、張本氏の応対の言葉遣いは、今の私の世代前後には、見習(身・習う)わなくてはならないものだ、と
感じた。
彼は、「お子チャマことば」ではなく、かといって、TV番組の解説のような言葉遣いでもなく、淡々とであるが、丁寧に
敬語を交えて 答えていた。
 
麻生外相が、もし自分が総裁になり首相になったら、、、という構想の中で、義務教育の低年齢化をあげていた。
子どもの教育を見直す・・・というところは、私も賛成だが、それを、義務教育開始年齢を一、二年、引き下げる、前倒しにするというのだ。
 
まったく、日本人は、前倒しが好きだ・・・。 なんでも 早くからすれば、成果があがる・・と思って居る節がある。
 
適材適所、と同様、適齢期というものが、それなりに、あるのだ。 
適齢期といっても、結婚の適齢期みたいな ”社会風潮”に押された体裁を整えるためのもではなく、
子どもの精神を養うための、”適齢期”だ。
7歳までは、論理で、これは、こうだから、こうしなくちゃだめだ・・などと、言っても、子どもは、「はい」と返事は、するだろうが、まだ理詰めのやり方では、
身にならない年齢だ。 7歳までは、もっと、 自由に発散させ、意思を働かせ、それを 周りの大人が、危険から守りながら、伸ばし(わがままを通して
良いというのではない。)、手足、体を使って ボール遊びをしたり、自然の素材(周囲の公園でも、家の中の枕生地でも、食材でも、田んぼのカエルでも、すずめの声も、なんでも)に触れ合って、そうやって 身の回りのことを実体験していくことが大切・重要なのだ。
そして 7歳から、14歳、つまり 思春期までの 小学校にあたる時期は、それらの”実体験”が生かされて、子どもたちは、自分を表現していく時期になる。
感受性を働かせ、表現し、感情というものを自分の一部として、見ていく時期だ。
 
それなのに、、、「躾けは、もっと小さいうちから学校教育fで・・・、」などと、麻生氏は、述べていたが、
しつけをするのに、なぜ、わざわざ 学校という場で、なされなくてはならないのだろう。
それでなくても、現代の子どもは、学校に入る前から、公文だとか、いろんな 読み書きをして”思考”を訓練するような
ものを生活の一部としている子が多いと言うのに、これ以上、学校で、”規律正しく”躾を学べ、というのは、
子どもの 感情 をますます、乏しいものにするだけだ、と私は、思う。
 
さて、
話を張本氏に戻す。
 
私は帰国してから、日本の小学校で、校長先生を含む先生達が、子どもに 丁寧に接しよう、仲良くしよう、としていることは、評価されるとしても、しかしながら、
お子チャマ言葉であったり、”おともだちことば”で、接していることに驚いた。
英語には、日本語ほど これ、と解かる敬語は、ないように思える。もちろん、丁寧な言い方、婉曲な表現、というものは、あるが、
学校では、呼びかけは別として、先生とも友達のような言葉を使ってくることは、確かだろう。
しかし、それなのに、日本の生徒・児童に比べて、(私の見てきた外国の子供達は、)あちらの方が、大人を リスペクトするという感覚が見える。
日本の児童は、相手を「先生」と呼んではいるものの、その先生が 教室に入ってきても、騒がしいのをやめない、など、果たして、先生をどういう
立場の人だと思って居るのか? そういうことが とても 不明瞭だ。
「今時の若者は~」と、年配者が、眉を顰めるのは、今に始まったことではない。
しかし、、、、
日本の、幼児・児童のしつけが、なってない・・・ということは、ますます よく聞かれ、私も、酷いと思ってきた。
が、 それを こういう状態にさせてしまったのは、他ならない 大人の責任だ。
 
お子チャマことば で話をすれば、子どもは 相手を 自分と同じヤツ・・・だと 受け留める。 呼ぶ方が何であれ。
私が小学生の頃の校長先生は、教壇の上で 朝の朝礼の話をされる時、けっして お子チャマことば を 使わず、
普通の言葉で、 丁寧に 話をされた・・・と思う。
だからこそ、子ども・児童は、そういう 話かた、言葉を 聞いて、 友人同士の話し方、先生や目上の人に対する話し方、そういうものを
”実感”として、 知らず知らず(○○って言うんですよ~なんて 習わなくても)、身につけていったのではないかと思う。
 
お子チャマ言葉・・・というのは、別に 幼児言葉というのではなく、 保育園の先生や 母親が、”乳幼児”に、話しかけるような、
「どうしたの~、だいじょうぶ~、○▽だね~、 ◆◇しようか~、」といった、話し方だ。 
これを、朝の朝礼や 教室で、”おはなし”をする 先生が、 この手の 話し方を 六年生を相手にしたとしたら、、、どうだろう?!
 
自宅でも、親と子どもの言葉の距離感は なくなっている。
確かに、我が家も 友人同士みたいな言葉で話すことはある。
が、度が過ぎると、娘は、父親に叱られるし、 私も、「今の言葉遣いは、不味いんじゃないかな、いくら、ママが相手でも・・」と
注意を向ける。
 この時に、「今の言葉遣いは、よくないものです。いくら、母親が相手でも、考えなくてはなりません。」と 言う方が、
きちんと・・・・躾けることになるのかもしれないが、一朝一夕で、出来上がった言葉の関係ではなく、すでに中学生であるため、娘も
こちらに対して”言い分”が 増えてきた年頃なので、なるべく 支配的に押さえつけることはせず、受け入れられそうな感じで
話をすることにしている。 それに、手前味噌だが、娘は 日本で育たなかった割りには、敬語や丁寧語をうまく 使って居るので、
自分で、発する言葉に注意を向けることを、”気付かせる”ことに しようと、今の彼女に対しては、そう思っている。
その上で、たとえば、学校などで、教師と生徒という立場の 距離感の場合、
上記の「~なくてはなりません」タイプの話し方が 必要なのではないか、ということだ。
これでは、よそよそしくて、 子どもと親しい関係になれない・・・・ という先生がいるかもしれない。
が、この よそよそしさ、を 親しみの持てるものにしよう、、、とした結果、 結局、 子供達小・中学を含む)の言葉遣いがますます
混乱し、ましてや、<我が家も例にもれないが、> お友達言葉で 幼い時から、家庭内で 友達感覚の「親子の会話」をしていたとしたら、
子どもは、 丁寧なことばづかい を学ぶ機会を どんどん 逃すことになる。
自宅では、リラックスした 言葉ではなすのは、それは、構わないと思う。
が、その中でも、お客様が見えたとき、電話での応対、または 子どもが電話で誰かと話して居るときの会話、そういうもの すべてを
”臨機応変”に 使い分けられるように、幼い時から、躾けていくのが、家庭のするべきことだと思う。
 
 義務教育を低年齢化 させたところで、家庭環境が変わらなければ、けっして、 大人が望んでいる様な ”躾けのできた”子どもは増えないだろう。
いやいや、むしろ、大人を躾けなおす方が、近道かもしれない。
 
張本氏の インタビュー中の話し方は、難しい言葉をつかうでもなく、しかし、「~だよね~」言葉を連発するでもんばく、たまには、問いかけや同意を
求める言葉として、○○でしょう?! とか、 ◇▽だね・・・ といった語尾は、使われていたが、 それでも 大部分は、 「~ですね、」
「~ですからね、」と 丁寧に話しかけられていた。 
家族に、ここまで丁寧な言葉遣いを日常 求めるわけではないが、 公の場 と言われる場所で、生徒・児童と接する方々には、
ぜひ、こういう点を考え直してみて いただきたい・・・と 思った。 そして、私達、保護者も、家から 一歩外に出たら、我が子といえども、
他者への丁寧な言葉・応対を見せる努力というものを 怠ってはならない、と思った。
 
なぜなら、子どもは、大人の真似をし、子どもは大人の背中を見て、育つもの・・・だからである。
低年齢化したところで、 見本・お手本となる 周囲の大人が、そういう姿勢でない限り、子どもの躾けの
”問題” に、解決策を見出すのは、難しいだろう、、、と 思うのである。 
 
 
 
追伸: 同番組で、張本氏の他に、落語の林家一家の女将さん 海老名香葉子さんも、別の中学生のインタビューに応え、東京の空襲の話などを
されていた。 彼女は、女性ということもあってか、丁寧ではあるが、張本氏のような 丁寧語ではなく、「▽○だったのよ・・・」 などという 話しかけかた、語り方をされていたので、 張本氏の 丁寧語の応対は、余計に 際立って聴こえた。 海老名夫人の 答え方が、不適当というのではない。むしろ、海老名夫人のような言葉での応対の方が、現代は、主流であり、子どもにとっては、親しみというものを感じるだろう。大人でもそうだ。 が、例えば、文を書くときに、常体と敬体というものがあるように、この両者の応対、言葉遣い・話し方は、少し 異なっており、現代の私達に足りないもの、、それが、 張本氏の話し方(敬体)なのではないか、と感じたのだった。
 
2006/5/24

子供を観察する時、人は天を知る

おかげさまで 自己憐憫に 浸るようなことは、大人になって 意識できるようになってから、
ようやく なくなった。 ”おちこんでいる” という表現で、 自己憐憫の入り口に行き、入ろうか、
どうしようか、迷うことはあるけれど、扉に 寄りかかって、しばらく ため息をついていれば、まだ
今来た道を振り返り、もどることができる。
 
が、私にとって未だに
厄介なのは、 自己嫌悪だ。
特に、相手が子供だと、とても とても、 ため息どころでは 治らない。
毎回、過去のことから反省して、心がけを新たにするのだけど、時々、イライラが募り、いろいろ
絡んで、”あ~、どうして、あそこで一歩、引かなかったのかな~大人気(おとなげ)なかったよな~ と、自己嫌悪になる。
 
 
【十代の初め、青年期の始まりは、良くも悪くも 自己意識の強い時期として知られており、しかもこの時期は、自己認識(自我の目覚め)のときでもある。】 by Dr. Deepak Chopra
 
そして、この時期までには、幼少期に どのような 精神・心理的な影響を与えられて育ったかということが、甘い実 もしくは、渋い実となって熟しつつあり、それは、今後、子供と向き合う時に微妙に関係してくる。 もう、子供は、大人の・親の・先生の 言葉を 額面どおりに受け留めることはしないし、 もちろん、相手の顔色を見て、もしくは罰を回避するために、大人に従うという術を身に着けていることが多い。 これが、健康的なリアクションではないことは、いうまでもない。
 
こういう時期の 娘と あれこれ 渡り合う時に、結果、私は 自己嫌悪に 陥ることが 多々ある。
全ては、私の持つ意識、私の受け留め方、 そして、私のアプローチ次第だと、解かってはいるものの、なかなか、彼女を 成熟した愛 で 見守り、包むことはできない。
 ゆえに、自分自身に 腹が立つというような、最悪の事態になって、自己嫌悪である。
 
 
 Why destroy your present happiness
by a distant misery,
which may never come at all?
For every substantial grief has twenty shadows
and
most of the shadows are
of your own making.. 
 
 
そうなのだ。 前に、自分でも書いたではないか、、、恐れや不安は、そのほとんどが、今起こっているわけではない、どこか遠くにある自分で作り出した実体のないもの(=~かもしれない不安)に対して感じているものに過ぎない・・・と。 
あれこれ取り越し苦労のために、口うるさくなる・・・大体の場合、これが、私の反省点。
 
・・・ というわけで、
 
 乳幼児期から、これまでの 育て方、育ってきた過程を、省みて、子供自身に(=私の場合、娘に) 必要な 精神性が 備わっている・・・ならば、余計な心配を捨てて、子供が自分で
目覚め、体験し、責任を持つことを学ぶ 次の過程を 見守ることが 肝心なのだろう。
 
『 大人であることは容易だか、子どもであることは困難なことである。』
                                         by ルドルフ・シュタイナー
 
誠に、真に、そのようですね・・・、子供は大変だ。 わけのわからない 大人に振り回されることが多いし、それでも、その理不尽さに抵抗する術を知らない子供も多い。 
日々、子供に向き会いながら、自己嫌悪に陥ってしまったら、それは それで仕方ない・・・
ただ、引きずらないように 心を新たにしたいと思う。  
しばらく前、完璧な子育てをしようと求めるのではなく、自分なりのベストを尽くせば、好いのだよ、とある人にアドバイスされた。 少し、気分は軽くなったけれど、また、自己嫌悪を感じている今。
 
 『子供を観察する時、人は天を知る』 by ルドルフ・シュタイナー 
                                     ・・・ まさに、育児は育自。
こんな 母親によくあの子は、付き合っていると思う。 
 
 
[ Because of their inocence children are ruthless teachers of truth and love. ]
 by Dr. Deepak Chopra
 
子供と向き合うことから、育児から、口応えや親子ケンカを含めて、時として、大人には、
都合の悪い・格好のつかない 矛盾に 気づかされることもある。
そこにある 真実と、愛を認め、受け入れて、子供を 師として、謙虚になろう。 
 
・・ でも ・・
 
ああ、ため息・・・。
 
 
追伸:
 
私の・・あなた(娘)へ・・・。
あなたが、私を親として生まれてくることを選んだことに、私は、誇りと喜びとを持って、
あなたを愛情深く育てます。 あなたが、私の娘であることは、どれほどの 幸せであることか! 
それに 変わりはないのだけれど、時々、混乱する私を 許してください。 ありがとう! 
 
2006/3/31

なごり雪?

寒いです。
私の寝ている部屋の今朝の室温は、6度でした。
昨夜、寝る前は7度でした。
今週初めから 実家に来ています。 
春休みなので~~~。
天気予報が当たって、雪が降りました。
昨日の夜から降った雪が、今朝は、消えていません。
ここ3日の中で、一番、寒いです。
 
といっても、私の実家の在る町は、海沿いなので、風が強く、
山沿いほど、 雪は積もりません。 
その代り、、、、、ものすごく ふぶくのです・・・ 吹雪です。
でも、これが 季節(春先)のためか、真冬の吹雪とは違って、
数分 吹雪いては、止み、 晴れ間が覗いたりして、また
思い出したように、ちらちら  ぼたぼた 雪が降ったり・・・・そして 一変 吹雪いたり・・・・。
女心と秋の空・・・っていいますけど、 もし それが 移ろう 変わりやすいものを言っているのなら、
今回のこの雪模様の天気は、まさに そんな感じ・・・。
でも、 秋じゃないので、 『なごり雪』 ですね。  
なごり吹雪かな~。
 
≪育児≫
妹の子供、幼児も2人一緒に来ていますが、子供心のほうが、よほど 女心よりも 安定しているような
気がしますよ・・・・ なんたって、子供の「○○って言った~約束した~」に翻弄される大人・・・。
子供は、意外と 物事を よ~く 憶えているので、うかつな事は言えないのです。
「明日にしようね~」なんて 言おうものなら、その翌日、「ねえ~、昨日さあ~」と しっかり覚えていて、
ごまかされません。
つまり、これは、短期間の 『三つ子の魂・・百まで』が、長期間へ移行する種だと 思えます。
大人が 何気なく発した言葉や態度、軽い約束(大人は、守るつもりがなく、適当にごまかしたつもり)を
彼らは、しっかり 覚えているのです。しっかり吸収しているのです。
これは、とっても 怖いことなんですよ・・・ 恐れ多いって言う方が良いかな?!
 
実家に帰ってきたついでに、今回は、美容院と 歯医者に行きました。
半年分の 雑誌を 一気に 読んだ気分です。
 
その中に、皇室記事を扱ったものもあって、皇后美知子さまが、第一子ご誕生に際し、
可愛いと思いつつ、恐れ多くもあり・・・という気持ちを詠った歌があると、紹介され、日本に親子は数あれど、
自分の子供を恐れ多いと感じながら、手にして抱き、育てる親はいないだろう(美知子さまと皇太子の関係が
それほど特殊だということ)が書かれていたけれど、私は、それプラスひとつ思ったことがある。
確かに、単に”可愛い”じゃなくて、”恐れ多い”、と思いながら、我が子を抱くというのは、みな、意識しないだろうし、
そういう人は稀かもしれない。
でも、子供を育てるというのは、本来、そう在るべきだと 思うのです。
子供の魂が、自分を親(自分達を保護者)として 生まれてきてくれたのだ、この子供を、子供の魂を、
しっかり、その子らしく花開くように 導いて、守って、支えて、育てていくのが親の役目。
間違っても、親の満足のために子育てをするのではないし、親の何かの埋め合わせのためでもない。
(子供の側が、家族の中の、自分の立場をどう位置づけるかは、別問題。)
だから、子供が生まれたら、可愛いと 同時に、 これから その子を魂を育てる大役を担うのだ、
と恐れ多い気持ちで (その子が、将来 皇太子や天皇になるわけでなくても・・・) 育てていったら、
下手な 甘やかし方は できないし、親の期待や要求に沿わないからといって 脅すこともできないし、
自ずと 責任ある子育てに意識が向くのではないかと思います。 
 
== 恐れ多いといってばかりで、 よそよそしく 育てろっていうのじゃありません。
恐れ多いっていうのは、相手を 敬えってことです。 赤ん坊といえども、自分の子供といえども、一個の魂、、
別の人格なのですから・・・。
そして、何より、恐れ多く感じようと それが 感じられまいと、肝心なのは、無条件の愛でしょう・・。
その人間の将来が 親の手には 託されているのですから・・・。==
 
なんて、幼児2人を見ていて 改めて考えました、
 
今日の最高気温は、7度の予報です。
あ~~~寒い。 そして、今日も、姪っこ、甥っ子の世話の手助けをいたします、ハイ。
キーボードをうつ指がかじかんできたので、やめます。
では、また! ごきげんよう・・・・
 
 
*ストーブついていて、炬燵に入っているケド、寒い・・・・。
というわけで、すみません、コメント返し、遅くなります・・・。 (ブロードバンドじゃないので、。。。)
 
 
2006/3/27

反省会 ①

春休みなので、少し 育児について 振り返ってみようと考えている。
残念ながら、また 宿題が出たので、 思い切り リラックスすることはできないが、
なるべく no judgement, no demands, no expectations ということで、過ごしたいと思っている。
 
そして、私は私なりに、これまでの 育児を 考えてみようと・・・。
また 妹のところに 幼児が2人いるので、彼らを見ながら、考えてみようかと・・・。
 
今回の反省会につかう テキストは、『The Seven Spiritual Laws of Success for Parents 』で、
先日の 【 学年末において 】 の中にも書いた、 親が子供に与えられる最良のものというのは、精神的な道筋をつけること・・というところにベースがある。
 
おそらく、この本は、すでに 邦訳が出ていると思うので・・・(なんという 邦題なのか?判りませんが・・)
興味がおありの方は、原本(英語)もしくは、邦訳をお求めになり、読んでみてください。
この7つの法則だが、もともとの大人用の法則と、子供用の法則とは、対応しているものの、子供用の方が、具体的というか判りやすいように思う。
 
例えば、 
法則 1 : The Law of  Pure Potentiality      ⇔ (子供) Everything is possible.
法則 4 : The Law of Least Effort    ⇔ (子供)   Don't say no, -- go with the flow.
 
本質的には、同じ事なのですが、大人が子供を導くに当たり、判りやすいように変えてあるようだ。
 
さて、私は、迷ったりしたとき、ルドルフ・シュタイナーの教育に関連したアドバイスを基にして いろいろ自問自答しながら育児をしてきた。 具体的なヒントを得られたこともあるし、漠然と考えるしかないこともあった。 シュタイナー教育も、そもそも 子供を大人の付属とは考えず、大人に比べたら不完全な状態であるかもしれないが、それでも 一個の魂として、その魂を充分に 開花させるためには、その魂=人格をどう導いたらよいのか、という観点でのアプローチで、精神面がとても重要視されている。 シュタイナー教育は、今でも、私にとっての”知恵袋”であることに変わりはない。
 
しかし、同時に、残念ながら、私が娘の幼児期を育てた頃、この”7法則”というものには、縁がなかったので、これと照らし合わせると、ああ、これがあったらよかったのになあ、と思いながら読んだものだ。
 
子供を精神的な視点に導くためには、どうしたらいいのか、という方法・始め方だが、
なんてことはない、難しく考えることはないのだ・・・。
『もし、あなたが 信頼と、広い視野と、寛容と、そして 批判的にならないという 環境を子供に与えることができるなら、これらの資質は、その子の精神的な資質として、自然に吸収されていくだろう。』 と、いうことです、 そして、一にも二にも、『愛することを示し、愛で在れ、』ということです。
 
 残念ながら、今の社会、いえ、これまでの世の中全体に、それが地球上のどこであれ、愛されずに育ったり、それを感じられずに育つ子供は、います。 が、遅すぎると あきらめることはありません。
愛を感じる始めるのは、幼ければ幼いほど、良いけれど、私たちは、同時に、分かち合う能力も持っています。 自分の子供に 充分な基礎になる、強い愛を 与えられたかどうか、確かに気になることではありますが、育児は 育自と言われるように、終わりではありませんから、大人の私たちが、
『愛で在る』と自覚し、そうあるように務めることが、愛を分かちあうことに プラスに なっていくと思います。
 
信頼  広い視野  寛容  批判的(※)ではないこと
 
振り返るに、 
信頼は、得られていると思う。
広い視野も、ある。 
寛容については、私よりも、娘の方が、寛容だ・・・・と思ってしまう。
批判的ではないこと・・・。 これが 一番難しい。
批判してたつもりはなくても、 何事についても、期待と 要求が 満たされない場合に、
その相対するものとして、 批判的な リアクションを していたと 思う。
娘のことを批判していたか、ということだけではなく、世の中全体のことだ。
私は、かなりの 天邪鬼なので、 自分がそう思っているかどうかに関わらず、そこに出ているものと別の視点を必ずといって良いほど、考えて見たり、ピックアップしてみたりする。(場合によっては、それによって 波風が立つので、他人には、嫌がられたりもする。) だから、自分では批判しているつもりはなくても、「別の見方もあるのに~」と いうことを示す際に、もしかしたら、批判的な”言い方”や
批判的なアプローチで 物事を捉えていたこともあるだろう。
そして、娘は、しっかり それを 身に着けている・・・・ようにも見える。
また、私が 批判しているつもりはなくても、彼女の何かの行動に関しての リアクションが、彼女には、”批判”のように 思えることもあるようだから、気をつけなくてはならない・・・。
口に出して批判することだけが、批判ではない。 (※批判、若しくは、非難)
 
ということで、、、
以上、4つを 心に留め置き、また 明日から、育児(育自)に 励みます。
 
次回からは、 この子育てに適用できる7つの法則 を 紐解く前に、年齢ごとの、留意点を
見て行きたいと思います。
 
 
2006/3/25

at the end of this school year

 今日、娘は 学校の部活の行事で、遠足に行きました。お天気は、まずまずでした。
少し雲が多いけど、雨も降らなかったし・・・。
まだ あまり JRの乗りかえなどが うまくない娘に、念のため 少し多めに 交通費を渡したら、
しっかり、その余分をつかって ”おみやげ”なんぞを 買ってきました。
楽しかったようで、 めでたし めでたし~~。
 
さて、今年も、(学校での 年です。) 一年が、終わろうとしています。
終業式は、月曜に終わりまして、ため息混じりに 通知表を見ました。
 
今年も、下校時、道草したけれど、無事に、通学しました。
今年も、登校するのがイヤだとは 言わず、 友達に会いたいといって 登校しました。
今年も、反抗もしたけれど、先生とも たくさん話をしました。(← 娘) 
今年も、たくさん笑って、たくさん泣いて、新しい友達もできました。
嫌がっていた マラソン大会は、幸か不幸か 天候のため 中止になりました。
文化祭では、部活でも、クラスの模様物でも、それなりに 参加して楽しんだようです。
クリスマスの キリスト生誕劇(英語)では、ナレーションを担当したのですが、母としては、娘の美しいブリッツが聞けて 満足でした。 マイクの調子が 悪かったのは残念でしたが・・・。
 
今年は、(私から見て) 娘は、日本(=日本語)の小説などにも、興味をもって読み始めました。
今年は、日本語で、ストーリーを書き始めました。 (英語では、昔からよく書いていた。)
知人の絵画の個展にも行ったし、別の友人の写真の個展にも出かけたし、つい先日も、生け花の展示会に行ったし、初めて季節のお茶事(ひな祭り)にも参加したし、プライベートでもいろんな新しい経験をしました。   
 
ま、いいんじゃないかな・・・。 成績は イマイチだったけど・・・。
 
昔の私の友人に会いにいった時も、== 私の友人達は、場合によっては私よりも更に年上の
おばちゃまのことがあるのだけど、== きちんと (英語でも、日本語でも) あいさつもできたし、
会話もできるし、いじいじしたり グチグチ言ったりしないで、最後まで 嫌な顔をしないで 付き合えたし、こういう点では 大人になってきたようでもあります・・・。
それに、【 Sex And The City 】を 一緒に見ながら、いろんな話もできるようになりました。
 
さて・・・・
【 良い人生というものは、ただ 私たちの内面から生まれ出るもの、 
  私たちの中に在る意志を映したものなのだ。】   ・・・ と あの大御所も言っています。
そして、『 私たちの親としての、子供に対する重大な責任は、子供たちに しっかりと 精神性の道を伝えることである、』とも 言っています。
精神性の道、っていう訳は 解かりづらいか~、journey of spirit つまり、この世に生まれた魂が、まが故郷へ帰っていくまでの過程において その支えになるようなことを、子供たちの心・意識に据えること 。  
親 ( もしくは保護者)として、子供に与えられる 一番の栄養・糧は、精神性なのです。(※ ↓ )
 
というわけで、精神的な面で 振り返ると、今年も、逆に、私は娘から多くモノを学びました。
忍耐・・・・寛容・・・・理解・・・・ そして、 期待しないこと、要求しないこと、 ジャッジしないこと
 
同時に、彼女は、私のあれこれを見ながら、ため息もついたでしょうけど、私の人生への考え方、
生きることの捉え方、周囲の見解から いろんなものを 吸収してきたことでしょう。
何を 感じ、学んでいるかは、、、、彼女にしかわからないけど・・・。
もともと、彼女は、幸いにも、優しい気質、 公平な気質、 ポジティヴな気質(最近、ヤバイ!)、などを持っているし、他人の気持ちになって感じ、考えることもできるし、自分の考えをしっかり持ってもいるし、 正義感も強い、こんな資質だけでも、私は 親としてありがたいし、充分なのだと思います。  
また、幸か不幸か、私の影響で(?) この世の仕組み、生きている意味、などについて興味も持っているし、彼女なりの 見解も 見つけつつあるようです。
 
 
人は、子供が生まれるとき、どの親も、『元気で生まれてくればいい・・・』と 謙虚に祈るものです。
それなのに、元気でいるのに、その次は、あれこれと 要求をしてしまいます。
(例)
 なんで泣くの? いっぱい飲んだでしょう? 泣かないでよ! もっと寝ていてよ!
 なんで 友達とケンカするの? 仲良くするんだよって いつも言ってるでしょ?!
 なんで 歩けないの? 一歳前後には歩くって育児書に書いてあるよ。
 となりの ○○ちゃんは、もう歩いてるよ、うちの子より 一ヶ月遅い誕生日なのに・・・。
 なんで、 読めないの? △△さんちの ◇◇ちゃんは、あいうえおも ABCも 読めるのに・・・。
 なんで、 足し算できないの? 幼稚園で 習ってるでしょ?!
 なんで、 行きたがらないの? せっかく ××ちゃんと同じ英会話教室に入れたのに・・・。
 
普通のことだと みんないうけれど、 気がつけば、親が”期待する” ○×大学、 ◇△という職業・・・を 要求しながら、子供に 勉強させ、がんばらせる・・・・。
---- ---- ---- ----  ほんと、子供に対する親の期待・要求というものは、キリが ありません。
 
その『親の要求や期待』 に応えるために 子供は生きているわけじゃない・・・ですね。
 
元気なら、それで いい。 特に、 精神的に 元気なら、、、もっと 嬉しい。
冷静に思うと、 娘は、私の”期待以上”に 素直で 思いやりのある子に 育っているようです。
~~~ と、いいながら、問題も山積みです。 でも、その問題を 問題だと考えないようにしようと、育児=育自するつもりです。 ~~~
彼女が、彼女の人生を、彼女らしく 生きていけるように、、それをサポートし、安全に過ごせるように責任をもって オブザーブするのが、私の役目
私の望む彼女の人生や学校生活を 彼女に過ごさせるのではない。
そう、思うと、 うん、けっこう うまくやってるじゃないの・・・と 思います。
そういうことで、 今年も、 無事に 過ごせました。 
 
部活の仲間が 今は とても仲が好くて 楽しいみたいです。 卒業していく先輩への お別れ会を兼ねたこの遠足、今年は参加できて好かったね。 (去年は、春休み中、前の国に里帰りしたので・・・。) 
また、4月から、元気に 楽しくすごせますように・・・。 
 May Angels be with You ・・・ always.
 
 
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( 注: ) ※ それは、その子が 「人生を 自分の目で、自分なりに どう 捉えていくか 」に関わってくるからです。
もちろん、 私たちの人生において、人生の成功というのが、どういうもので、どんなものを良い人生というのかは、人によって 異なるものですが、人生をどう捉えるか、これは、けっして難しいことではないので、幼いうちから、自分の周りを通して ひとつひとつの 意味を見出していくと、大人になってから、混乱せずにすみます。 
精神性といっても、さまざまですが、例えば、”ここに生きている理由” というものに結びついた 問いに対する答えを、幼いうち、若いうちに意識して、心の拠り所にしているほど、20代、30代と 成長してから、「人生って何だ?」と疑問をもつよりも、その問いに対する答えを うまく見つけ、吸収することがたやすいのです。
 大人になってから、初めてこういった疑問をもち、その答えを得ようとすると、すでに 人生が ”ややこしい”ものになっていたり、それまでのさまざまな経験が障害となったりして、本当はシンプルな 人生の目的、そこに生きている理由といったものが、見えにくくなり、信じられなくなるからです。 
 
今、日本では 教育基本法とかの中に盛り込む、愛国心を、どういう言い回しにするかなどと、問題視されていますが、 強制的に愛国心を 意識させられても、それは愛国心ではなく、偏った価値観や一歩間違えると、民族・人種差別にさえ発展します。 愛国心をと、そこだけピックアップするより、日本の伝統など 誇れる部分を 子供達に 広く見えるように、触れられるようにすることのほうが、文言に表すよりも、効果的だと思います。 
(( 戦後の日本人が、卑屈になりすぎていたのだと、私は思う。敗戦国だから、とか、アジア諸国に酷いことをしたから、と必要以上に小さくなった。謙虚になったのではなく、いじいじしていたってことです。もともと愛国心なんて、わざわざいわれるものじゃなくて、その国、自分の生きている場所に、愛着と信頼があれば、自然と誇れるものでしょう・・・。百合の花や お米みたいに、謙虚に下を向きながら、堂々と花を開かせ、穂を丸々と実らせれば好いのです。))
それには、やはり 自分が今、ここで生きている意味というものを 自分なりに感じ、考えられるようになることで、日本人としての自覚とか、国際化社会における日本人としての役割とか、日本人・何人といわずに、人間として自分らしい生き方といった、生きることへの価値を見出せるようになると、私は考えます。  自分のこと、自分の生きていることを考えることは、他人との関わり・つながりを みつめ、考えることにもつながっていくはずですから・・・。
  え? それにはどうするかって? 長くなるのでこれに関してはまた別の機会に・・・。    (了)
2006/3/1

娘の友達

【 名前 】
 
グリーン・ティ
 
ぐり、 と ぐら
 
鯉ちゃん、明かりちゃん、
 
レピー
 
アルノ
 
 
 
 
 さあ、これらの名前は、 何の名前でしょう?!
 
 
正解は ↓ 
 
 
☆ 娘が 幼い頃から、 飼ってきたもの・・・・ 娘の友達・・・・。
 
 
上から、
 
 ギャビーから貰った 蚕、               *ギャビーは、娘の幼稚園での友達。
 
 夏祭りで 買った ミドリ亀 二匹 、        *先祖の墓に、埋葬
 
 夏祭りで すくった 金魚 二匹、          *一匹は1年、もう一匹は3年生きた。 
 
 玄関前にいた トカゲ、                *実家の庭
 
 我が家の番犬・・・ボーダーコリー、         *番犬、友達、そして、妹みたいな存在。 
     
 
 ☆ アルノ、、、どうしているだろう、、、、フレンドリーすぎて 番犬にならない番犬だった。 
  引越しの時、泣く泣く 里親に預けてきた・・・。   今年で 11歳のはずだ・・・・。
  元気でいるだろうか・・・・。    
 
 
2006/2/18

親ばか ②

 
娘の人生、日本での生活よりも、海外の方が、まだ長い。
そんな 彼女が 帰国してから、習い事を始めた。
自ら、習いに行きたいと決めたのである、私が、行かせたわけじゃない。
 
茶道である。
 
いろんなご縁に恵まれ、お茶に興味を持ったことがきっかけで、
たまたま 徒歩7分の距離に、お稽古できるお茶室があり、通うことに決めた。
初めは、あんな堅苦しい作法を覚えるような、しかも、正座をするような お稽古事、
たんなる興味半分では、長続きしないのではないかと、心配だった。
学校のきまり あれこれについて、 嫌だ!嫌だ!、 うるさい!うざい!と
日々、過保護すぎるくらいの日本の学校の注意ごと(生活面&学習面)に文句タラタラで、
”自由”大好き、マイペースの彼女だから、 あれこれ規則(?)がある茶道なんて、
大丈夫なのか?と 不思議だった・・・。
ところが、
意外にも、 お茶は、嫌じゃないのだという。
学校の、あれこれ 規則は 嫌なのに、お茶は、平気なのだ。
なぜ?
 
お茶の決まり、作法あれこれは、 ちゃんと 納得できる理由がそこにあるから・・・・。
 
な~るほど・・・。
学校の決まりごとには、 ”納得できる理由”が、ないんですね。
 ”決まりなんだから・・” ということで 押さえつけられる。、
なんで?と 食い下がっても、 そういうことに 先生は目を向けない。
子供がなぜ、抵抗しているのか? 嫌がってるのか? 先生・学校は、それを考えない。
単に、”決まりだから、”という理由で、おしまい。
納得できる理由、意味、秩序が、そこにあれば、娘は、それで いいらしい。
 
今日は、ひな祭りを 題材にした、茶事が催されている。
普通は、土曜日も、学校にいくのだが、今日は、学校の諸事情で 休みだ。
年に何度かある茶事に これまで参加したことはなかった、
が、今回は、参加できた。  初めての、茶事だ。 
普段のお稽古より長い時間だけど、大丈夫かな?! 
 
 先日、娘を可愛がってくださるお茶の大先生に 久しぶりにお会いする機会を得た。
お稽古の後で、お茶をいただき、食事もご相伴に与った。
4人の大人と、中学生1人、、、そこで あやふやながらも 敬語を使い、
話しを聞き、話をする、そんな娘をみて、なんて 上手く成長しているんだろう~と思った。
お茶に通っている賜物でもあるが、彼女自身がこれまで培ってきた自分&他者との関わりが
少しづつ 生かされているのかもしれないと思った。
 
学校のテストで追試になったりしているけれど、人間として他者とうまく関わる方が、大切だから、
やっぱり、これまでの海外での生活を含めて、学習時間よりも、自分自身&他者と過ごす時間の方を選んできて好かった!と思う・・・。
とはいえ、
期末テスト、、、大丈夫かな~ と心配してしまう、私は、小心者です・・・。
娘は、その点、人間が出来てる!
私の愚痴とも、注意ともつかない 長い、くどい説教を 黙って聞き流し、受け留めている・・・。
出来た娘である・・・。 
 
2006/2/6

親ばか ①

 
ブログを 日記代わりになさっている方が 多いので、私も、たまには、育児日記みたいに、
メモって見たいと思います・・・ ふと、思い出して、ああ~ そうだな~ とか、覚えておきたいな~
ってことなど、いろいろ・・・。 で、他人が読んだら、『 親ばか 』になると思われるので、
タイトルを 親ばか にしておきます・・・。
 
私が 自分の娘を、、「すごいな~」と 思ったときのこと・・・。  当時、彼女は10歳・・・。 
 
 前に住んでいたところで、知り合った米国の軍関係者(友人)に招かれて・・・あるパーティに出かけました。 子供用にビデオも上映されるから、子連れでいいよ、といわれたので、娘も一緒に・・・。
さて、 知らない人ばかりのパーティで、私も、ちょっと時間をもてあまし気味・・・。
ところが、娘は、(( ビデオ上映の部屋から、つまんない、、と、直ぐに戻ってきてしまって。)) いつのまにか、ビリヤード台の そばに立ってまして・・・。 ひとり、米国 海兵隊の 男の子達(体の大きい、お兄さん達です。お姉さんは、あまりいませんでした) が プールに 興じているところで、ぜんぜん 臆せずに その場に 溶け込んでしまっていた・・・・。 他に子供の姿は、ありません。 その場にいたのは、大人、しかも、体のでかい、若い お兄ちゃんたち・・・。 
 一緒に、遊んだわけじゃありません。 でも、ちょっとやそっと 邪魔にされかけても、平気で、 
その場から 離れず、、、”楽しい!”と 言っていた・・・ これには、傍でみていた私は、参りました。
結局、一緒にやらせてはもらえなかったけど、メンバーが、交代する時とか、ちょろっと 触らせてもらったり、 話し掛けて、答えてもらったり、、それだけで 満足していたみたい。 海兵隊のお兄ちゃんたちは、『この子、何処の子?』って感じで、≪ 私の方をみて、指をさす男の子たちもいまして、そんなときは、笑って、”that's my daughter ” と答えましたけど~≫ うるさいチビと思っていたようだったけど、それに ぜんぜん ひるまない彼女は、大きく見えた!!!
 
それから、彼女を、シカトせずに、相手をしてくれた、 お兄ちゃんたち、ありがとうございました◎
 
 娘へ---
あなたの、その度胸と、相手が 何人でも、何処の誰でもかまわずに、臆せず、興味に応じて 動ける、話しかける、そんなあなたのフランクさが、うらやましくもあり、頼もしくもあり、すごいと思います。  
                                                  母より・・・。
2006/1/29

T-GAL って知ってますか?

 
  T-GAL = Think Globally, Act Locally
 
 
海外から帰国した妻たちのネットワークとして1997年に発足した集まりで、海外で得た経験を地域に生かしていくための さまざまな活動をしています。
◎国際理解教室、講演会の企画実施 (例: 2001年  いい子ってどんな子? / 2003年 子供を通して見る国際理解、 / 2004年 英語学習 7つの誤解  ) から 帰国子女プロジェクト、ファミリーサポートプロジェクト などの 帰国後に戸惑うことがらについてのサポートなど、があります。
 
 さて、 昨日、このT-GAL(ティーガル)が昨年 秋に行った【帰国子女・外国人子女写真コンクール  / 日本のびっくり!・日本のはてな?】 に応募されたの作品一部展示を見る機会がありました。 その展示会(昨年、11月・12月)は、終わってしまったのですが、たまたま、昨日、娘の学校で、帰国子女を持つ親の集まりが催した講演会の一環として、作品の一部が展示されていたのです。
 
平たく言うと、 在日外国人や 帰国子女たちが 日本で見つけた ヘンなところを 写真に撮り、
そこの何がヘンなのかというコメントをつけて応募した作品の展示なのです。
写真をここに紹介できないのが残念ですが・・・・。
私は、この一年、ブログを通して、海外に居を構えておられる日本人の方が、帰国すると感じる”日本の!?”をいろいろ書いておられるのを読んできて、今回の作品の中に、類似を感じたものがあったので、それを、コメントの一部だけ、お見せしたいと思います・・・・。
 
☆写真のタイトル : 「皆で協力しましょう」   
 応募者      : アメリカより 帰国 ・ 現在 20歳。
 コメント :
 『 私が 毎朝 駅に行くまでに通る道のゴミ捨て場に、ある日この張り紙(「皆で協力しましょう」写真)がしてあった。アメリカでは、あまりこういった 「 ~しましょう!」 などという張り紙はなかった気がする。ゴミは捨てないようにね!!といったものは見たけれども、みんな当たり前のようなことに関して協力を求めるような張り紙を見たことはあまりなかった。 それは、張り紙をしなくても協力しあえるというアメリカの人の性格のせいだったのかもしれないが、こんな張り紙をしなければいけないほど、日本は協力的じゃないのか!?と驚いた。 =中略= これを貼った人の努力が無駄にならないように ”協力してあげてください”と心の中で祈りながら学校へ行った。 』 
 
それらの作品には、 日本のずら~っと並んだ自動販売機、 ボタンだらけのトイレ(ウォシュレットのことかな?)とか、さまざまなものに 疑問を感じたり、 日本で使われている 和製英語とも言える言葉(カルピスは有名ですね^^。)に ??? を見つけたり、 逆に、 日本の風景の中に日本の豊かな自然、里山の美しさや 狭い敷地に駐車する技のすごさ(?!)を見出すというモノもありました。 外国に住んで、そして 日本に戻ると、あれやこれや 疑問がわいてきたりします。
そして、今回の写真展に並べられたようなものの中には、 外から帰ってきたら当たり前に思える
(同感・共感する)モノが多いのですが、つまり、わたし達(帰国組み?)にとっては、珍しいものというのは、少ないかも知れません。 
しかし、 日本にいる(海外と何かを比べたことの無い)人々にとっては、こういう別の視点から日常のモノを見るということは、とても新鮮であったり、意外であったりすることが多いようです。
外国の人が日本で 何をどう感じているのか、どんなふうに見えているのか、そういうヒントにもなるようです。
 ただ、写真に写して、説明したら、”なるほど~”と 解かってもらえるもの、つまり目で見て説明して話し合えるものは、視点・捉え方の相違を 確認しやすいものなのですが、目には見えないけれど、なんとなく違うんじゃないかな~ とか、システム的に馴染めないけど理由を解かってもらうのが難しい(我が家の娘が 夏休みの宿題に、どうしてもクビを縦に振れないような・・・)ことも、また多いのではないかと思います。
 
上記↑に私が挙げた 「張り紙・みんなで協力しましょう」は、 実は、その一例かもしれません。
この張り紙があることで(写真を紹介できなくてスミマセン・・・。昨日、カメラは持ってなかったので。)、彼女のコメントは、視覚的にフォーカスできるため、より判り易いでしょう。 
どういう場合に、その”協力しましょう”という タイプの呼びかけが 米国から帰ってきた彼女には、不自然に映るのか・・・が。 
つまり、この彼女の作品のコメントは、たとえ映るモノがなかったとしても、 その思想的な部分での、外国と日本との 見えない違い、ギャップ、生活観の差を 現す一例でもあると思います。 
≪今回は、たまたま写真があったわけですが・・・。≫ 
例えば、日本に帰ってくると、日本人が不親切に思える、、、っていう人、多いようですね。
(過去に読んだいろんなブログからの感想。)
そういうのは、体験して解かるけれど、 写真で見せることはできません・・・。 
異文化交流、国際化、国際交流・体験、などと いろんなところで 叫ばれますが、目に見えないものを 理解し合おうとすることは、 いかに 難しいか・・・ 改めて感じました。
が、 こうやって 目に見えるところからでも、ひとつひとつ、相違や 感覚のズレを理解し合うことが
できるってことが、相互理解への 一歩でもあると、思う次第です。  
 
※なぜ、わたしが昨日、娘の学校へ出向いたのか? それは、また後日・・・。  おしまい。
2005/11/5

幸いな 大人

 
 
自分の 子供の頃を 覚えている 大人は、 幸いである。
 
自分が 子供の時に 感じたことを覚えている大人は、 幸いである。
 
 
 
   自分が 子供の頃に、得られなかったモノ事を 子供には与えたい、という親は多い。
  しかし、私が 言うのは、そういうことではない。
 
 子供心に、 大人から 受けた 傷・・・
   言われたくなかった ・ 聞きたくなかった 言葉
   されて嫌だったこと、 されなくて 悲しかったこと、 
   傷ついた 心・気持ちを 覚えている人は幸いである。
  子供には、 その 傷を 与えない ように することが できるからである。 
 
 大人が 知らない間に 子供は傷ついていく・・・ 
 傷ついているとまでは いかなくても、 何気ない 大人のひと言が、 会話が 子供心に残る。
 そして、それは 人格を形成する際の 選択肢となっていく・・・ 
 どうすれば、大人に 喜ばれるか、選ばれるのか、自分は守られるのか、好かれるのか、
 自分を変えてでも、本心を押し殺してでも、 気に入られようとする 子供になっていく・・・。 
 
 何気なく指摘された言葉が、 浴びせられた言葉が、 子供心に 残っていく。
 思い出したくないことの一頁に 刻まれていく。 しかし、それは、消えてはいない。
 いつまでも 足かせとなり、 気づかないまま、自由を奪っている。
 
 思い出してみよう。
 子供の頃、 何気なく 大人に言われて、大人にされて、 気になったこと・・・嫌だったこと・・・。
 そして、そういうことを 子供には 言わないように、 しないように、 気を配ろう。
 
 与えることは、いくらでも ある。 あれもこれも、 何不自由ないように、悲しませないように、と
親は、子供に 与え続ける。 自分が欲しかったけど手に入らなかったものさえ、与えようとする。
が、 肝心なのは、 与えてはならないモノ・・・・※ の 方かもしれない。
 
 
   ~~~~~~~~  ☆  ~~~~~~~~  ☆  ~~~~~~~~
 
  【  Depression  is  Anger  turned  inward. 】
 
 ★幼稚園の、お受験のための 指導あれこれ(TV番組で)を見ていて 思いました。 
  幼稚園児くらいの 年齢の子が、 線で囲まれた中だけ 色を塗るという タスクを与えられ、
  親は、「線の中だけ、塗るように塾の先生に言われたでしょ、」という。 
  子供は、親の言葉を無私して、線をはみ出したまま 塗り続ける。。。
  はたして、、、、こんなに 幼いうちに 名門・幼稚園受験 という 機会と そのための塾通いを
  与えられている この子供は、何を感じて 塗り絵をしてたのでしょう・・・・。
   
 
※ 与えない = 試練を与えない ということではありません。 
※  怒り という感情は、 ノー という 表明の原動力となります。怒りも感情の1つとしての役割があり、大切なものです。 怒りの感情を否定することはありません。 
が、上手く処理されず、また、表されずに、抱え込まれると、精神的にうっ積してしまいます。
傷ついた心が 蓄積され、無意識のうちに怒りへと変わらないように、大人は子供の心に気を配らなくてはなりません。 
何より、精神的なものは、数日、数ヶ月で表面化するものだけではなく、10年、20年経ってから、現れるものもあることを 忘れてはなりません。  
 
 
 
追伸: 今日も、少し 哲学っぽかったかな??? 
  & もちろん、子供の頃の 楽しかったこと、うれしかったこと、そんなことをた~くさん思い出せたら、幸いだと思う。 あの頃、何を感じていたか、それを思い出しながら、育児(=育自)に励みます。 
 
2005/10/21

素直な心

 親ばか、、に少しお付き合い下さい。
 
4歳3ヶ月:
 
『ママが、おばあちゃんになって、☆☆(←娘の名)が大人になったら、☆☆、掃除、できるかなあ?』
『死んだら、エンジェルになるんだよね ?!☆☆もなれるかなあ?』
 
天使のような寝顔とは よく言ったもので、本当にいつまでたっても 寝ている顔は 可愛い。
 
4歳9ヶ月:
 
飼っていた3匹の蚕が 死んだ。今朝、死んだのは、トミー(蚕の名前)、夜、空に星を見つけて、 
 = 『あれ、トミーだよね。』
 
                                           <<育児日記より>> 
 
私が ため息ばかりの 此の頃、
娘は、涙ばかり・・・。
昔を思い出せば、 今のあれこれが 吹っ飛ぶ。 ここに いるだけで幸せなんだ、って、解かる。
 
May Angel Be With You