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日志


2009/8/16

午前二時のデート

ふと 思い出した 深夜 午前二時に 涙を流した あの日のデート。
 
 
あなたと アイスクリームをシェアして食べながら歩いたこと
突然、思い出しました。
地元でなら、絶対に しないようなことが、
回りに知っている人がいない場所でなら できる。
たとえば、機内で、あなたの方に頭をもたれかけることとか。。。
人通りも少なくて、
あてもなく ぶらぶら していただけなのに、
にわか雨だって 気にならない・・・
ホテルに戻ると魔法が解けてしまいそうで、
時計を気にしながら、それでも見ないふりをして 歩きました。
 
それは、バンコックの熱い ある夜・・・
 
ああ、愛おしい 時間
とりたてて 何をしたわけでも 何を語ったわけでもないのに
ただ ただ、一緒にいることが うれしかったのです。
 
この時が ずっと ずっと 続いたら いいのに・・・と。
濡れた髪も、Tシャツも、疲れた足も、寝不足の肌も、
静まりかえった街の吐息の中、全てが喜びでした・・・。
 
午前二時、
 
「I am not that strong...」
 
せつなそうに 苦しそうに あなたは 言いました。
 
これ以上、近づいてはいけない・・・
 
離れていられないのに、それなのに、これ以上 触れ合ってはいけない・・・
 
だから、心がちぎれ 身が引き裂かれる 想いを 振り切る 別れの時間。
 
ああ、
全てが 狂おしいほど 愛すべき 本物の想いのみで 過ごした 熱い 夜でした。
 
一瞬一瞬を 楽しんだ、せつなく 喜びあふれた 夜でした。
 
・・・ あなたと 二人だったから ・・・
 
愛しい 二度と おとずれることのない 二人だけの 時間、、、。
 
 ~~~~~~~~~~ ☆ ~~~~~~~~~~
 
 
いくつになっても 恋をします
いくつになっても 恋は喜び、恋は切なく、恋は生きるエネルギーとなります。
そして、若かったころも、やがて年をとってからも、 やはり 恋は 心を潤してくれます。
ただ、年を重ねた分だけ、すこしは 賢くなり、上手に恋心を感じ、より大切にすることができるようになった気がします。
相手を愛しく思う気持ち、 待つ せつなさ、 伝えられない もどかしさ、 会えない 寂しさ、 別れの悲しさ、
それらは、年齢に関係なく、 感情の全てが 恋する喜びなのだと 教えてくれます。
恋をしながら、そして、 愛するのです・・・。
愛すること、それは、時に、 耐えることであります。
 
なぜなら、それは、信じることだから。。。
 
若かったころは、その信じることが 足りずに、恋は恋で終わり、恋は恋で 過ぎ去って行きました。
 
今、恋する気持ちを残しながら、愛をはぐくみ、愛を感じ、愛を慈しむ・・・
 
それを教えてくれた、一緒に 耐えて、信じてくれた あなたに 心から 感謝しています・・・愛しています、今も、いつまでも・・・。
 
たとえ、、、今、傍に 一緒に いられないとしても・・・・、絆が、そこにあると 知っているから。
 
知っていることは、信じること以上の 信頼・・・。
( = 例 : なま卵を床から1mの高さから 落とすと、 卵は割れる・・・、これは、割れると信じているのではなく、割れると知っているという状態。
 つまり、信じている以上に それを信じ切っている=確信している状態は、“知っている”ということ。)
 
私があなたを愛している と あなたは知っている。
そして あなたの愛がそこにあると私は知っている。 
 
◎ 愛は、信頼、 信頼は忍耐、愛は全ての道を開く・・・そして、愛は、愛(の道)を見つける。
  [ 愛は、真実であり、喜びである。]   
 
2006/3/23

うるうる・・・・

 
  今朝の、『風のハルカ』は、今までの中で、一番、感動しました。
 
ついに、ハルカのお母さんが、自分に素直になり、好きな人を追いかけ、その相手も、それを受け入れまして、(一応、ドラマ上) 2人は、ハッピーに旅立ちました!   
 
 
必死で走って、やっと 追いついて、、、 高校時代でさえも、こんなに走ったことはないわ、、なんて言いながら、木綿子さんが 告白を・・・
 
  このまま、行っちゃおうかしら、ロンドン、~ いいかしら?  
  ああ、ええよ、ええよ、大阪よって、パスポートもって、一緒に行こう!
 
*パスポート!そうそう、芸が細かくて、好い良い!
 
いや~ よかった・・・。 離婚した、お父さんとお母さんが、再婚するっていうのも、それなりにドラマチックなのかもしれませんが、あのドラマ・ストーリーを見る限りにおいて、そういう雰囲気は、薄かった・・・。  というか、やはり、お父さんの片思いでしたね・・・・。  
正直、もう一方を応援していた(?)私としては、
尚更、今日の成り行きに、涙が 溢れました~。  よかった!よかった!
 
思わず、私も、病気になったら、誰か、遠くから 心配して、愛に来てくれるかな~なんて エゴイスティックなことを考えたほど・・・。
 
 
 それに、続いての、朝ドラ・再放送の『かりん』 でも、 高校時代の友人同士、花山くんが、昔の片思い(初恋)の相手である千晶の 家業を救うべく、恩返しという形で、資金提供を申しでました。 彼の、心のうち(セリフ)を 聞きながら、じわじわと 泣けてしまいました。
 
≪自分の家が、倒産して、諏訪を去ることになったその朝、朝早く! 握り飯を20個もって、
千晶さんが「また会いましょうね」と見送ってくれた・・・・ その言葉があってこそ、列車の中で、「いつかこの諏訪にもどって一旗あげるのだと、がんばってきた・・・&その後も、千晶さんが心の支えとなってここまでこれた・・・。(以下略)≫ 
 恋愛感情が 実るかどうかは、別として、この同級生を見送った時の千晶の思いやりも、そして、(ストーカーにもなれず?!) じっと 感謝を忘れず、密かに思い続けてきた <千晶は別の人と結婚したし、失恋はではあったけれど。> 花山君の 相手をそのまま思う気持ち、それらが、とても 人として、素晴しい愛の表し方だとおもいました。 
=== 想った相手を、自分のモノにするだけが、愛じゃないのです、認め、支え、受け入れる、ことも愛と呼べますよね。  
このドラマ、見てる人いますか? 古臭い 千晶のおじいちゃんに、ムカつくこともあるし、千晶の じれったさに、 ため息でることもあるけれど、意外と、このドラマも好きなんです・・・===
 
いや~、今日は、朝から、感動して、 涙が 二回も溢れてしまっています・・・。
 
さて、『風のハルカ』 に もどりますが、
いくらドラマ上の ストーリーとはいえ、このハルカのお母さん・木綿子さんと、ハルカのかつての上司でもある 青木さん、この2人が 今日、心を一つにして結ばれた(?)ここには、宇宙の法則が、たくさん 働いているのが、見えます。 そりゃ、ドラマだし、原作、脚本家の方が、どう考えてこういう流れにしたのかは、わたしには、判りませんが、もし、こういうことが現実に起こりうるのだとして、このストーリーを一例として、捉えた時、 宇宙の法則 (私の法則じゃないですけど・・・)が、隠れています。
 
心の中にある、信念・信じるものを、じっとみつめるってこと、
宇宙の計らいが働く、そのタイミングを キャッチするってこと、過去から、学ぶってこと・・・
相手を想いつつも、自分の 気持ちに 素直になるってこと、 
 (→ 見栄とか、柵とかよりも、心を優先する・=ワガママとは違いますよ、)
そして、 手放して(こだわらず)、それを 宇宙の計らいに任せるってことを含めて・・・ などなど。
語り合いたい人は、ご連絡ください! 
 
ほんとに、感動モノでした・・・。 
 恋愛中のみなさまも、がんばってくださいね~ 
 
2006/3/11

丘の上で・・・

 
 彼は、丘の上の 見晴らしのいい場所で、車を停めた。
街中を 東から南に向かって一望できる、高級住宅街の外れだった。
もう少し先まで行くと、その道は、エアフォースの訓練場へと続く。
ふだん、高速の裏側に位置するこんな奥まった高台に、来ることはない。
明るい午後の陽射しを浴びながらのドライブだった。
私たちは、車の中でも、どこでも、よくおしゃべりをするのだが、
坂を上っている途中で、彼は、黙り込んでしまった。
 
これ以上、プライベートに付き合っては いけない、、、そんなことを考えているんだろうと
察しはついた。
それとも、意を決して、いわゆる”告白” のタイミングを 考えているのだろうか・・・。
 
紫色に染まった街を見下ろす場所に車を停めた私たちは、車から降りると、
思い切り、初夏の空気を吸い込んだ。
風が 少し、足元の草を揺らす。
こんなところがあるんだ、、、知らなかった・・・若葉が濃くなりかけている、その合間にムラサキの樹。
わずかな時間、私たちは、手をつないで佇んでいた。
 
さっきの曲・・・・Bryan Adams  みたいだったけど、あれは、どういう意味だったんだろう・・・・。
私にどうしろ、というのだろう? あの曲を聴いているだけで、抱かれているような気分にさえなった。
聞きたい気もしたけれど、結局、言葉は何も形にならなかった。
 
it's really  love a woman
 
to understand her  
got to know her deep inside
he ever thought
she's  ever dreamed
give her wings she wants to fly
 
And when you find yourself laying  helpless in her arms
you know  you really love a woman 
 
you love a woman
tell her that she is really wanted
you love a woman
tell her that  she is the one
she needs somebody
tell her that it's going to last forever 
 
so tell me have you ever really, really really ever loved a woman
 
 
♪♪
 to  really love a woman 
let her hold you
to you know how she need to be touched
you got to breathe her
really taste her
so you can feel her in your blood
when you can see your unborn children in her eyes
you know you really love a woman
 
you love a woman
tell her that she is really wanted
you love a woman
tell her that she is the one
she needs somebody
tell her  that you will always be together
 
so tell me have you ever really,  really really ever loved a woman
 
~~~~
so just tell me have you every really, really  every loved a wonan
just tell me have you evre really,  really  really ever loved a woman     
 
 
♪Have you ever really loved a woman?♪  
 
長い坂を上りきって、右折して、少しまだデコボコの住宅街から外れた細い道を走っている時、
ブライアン・アダムスのハスキーな声がラジオから流れていた。
「この曲は、僕にとっては、君の曲なんだ it is for you・・・。」
 彼は、私の目を見ては いなかった。
遠くを見ていた。
そして、それでも、私にこの曲を聴いてほしいと言った。
 
彼の胸の鼓動が聞こえた。
風の音と、他に何もない。
こんなに近くにいるのに、一緒に居たいという ひと言が言えない。
何も言わなくても、同じことを考えているのは、解かっていた。
彼の若い情熱は、将来を見てはいたけれど、今しか、感じていなかった。
その今も、不安で いっぱいだった。
いつまで こうしていられるだろうか・・・。
あなたの未来と私の未来は、交わるのだろうか・・・。
肌の隙間をうめることはできても、確かなものなど 生み出せない。
 
草木が芽吹き始めた頃、木漏れ日の溢れる並木道で、
会いたかった・・・
会えるまでの わずか 3日が長かった・・・
そう お互いに胸のうちを明かしあってから、何度 見つめあっただろう。
これから、私たちは、どこにいくのだろう。
 
そんなことを聞いても、仕方がない・・・答えなんてないのだ。
今、一緒に居られる、その時間が 愛しい・・・。
あなたが私を欲しいと想い、わたしが あなたに溶け込みたいと想う、
茶色の瞳が 寂しげに笑う。
わたしは黙って 手に手を重ねて、涙が見えないように、彼とは違う方を向く。 
 
約束することも躊躇われる。
相手を思うだけで、こんなに 心が縛られてしまうのだから、
言葉で、約束という鎖で、互いを縛り付けることなんて できない。
あなたの胸を叩いて、次はいつ会えるの?と 泣くだけ、
「soon」 あなたの答えは、それだけ・・・。
ぎゅっと 抱きしめられて、その力強さだけは 確かに背中に感じていた。
時間よ、 止まれ、、 あと、もう少し、 あと、5分だけ・・・・。
 
彼は、わたしのために、突然、天から舞い降りた天使のようだった。
辛い時間の、私を支えてくれた。 
遠くをみつめる 彼の目は、私に 何を語っていたのだろう・・・
ごめん、 もう一緒に居られない、
ごめん、 そばにいてくれ、なんて言えない。
ごめん、 突然、黙って 連絡を絶ってしまって、ゴメン・・・・
再び、会ったとき、彼は、黙って、ただ私を見つめていた。 
私を見守る優しい目、でも、離れなくてはならない、悲しい目。 
さあ、僕があげた翼をもって、君は、自由に進みなさい、と。
 
あの丘の上の時間は、幻だったのだろうか、 
「it is for you.」
彼は、何も尋ねなかったし、私も応えなかった。
ただ、ブライアン・アダムスの、この曲が、彼の胸の叫びを伝えていた。
 
2006/2/27

every day I love you ♪

 
ローナン・キーティングだったと思うけど、[ Everyday I Love You ]  という曲・歌があった。
その歌とは、関係ありませんが、ふと、想いました。 結婚、一生の愛を誓い、関係を契約する。
でも、一生の誓いなんて、誰が 保障できるのだろう? 
契約を守ることはできても、愛に基づいてイナイものに、変わりえることもある。
だから、、、思うのです・・・。
 
 ------------------------------------------------------------------------
 
一生、愛し続けるなんて 約束は要らない
毎日、愛してくれるだけで いい
 
一生、愛するなんて、 誓ってくれなくて いい
毎日、私のことを 想ってくれるだけで いい
 
ただ、それだけでいい
一生、とか、 約束なんて いわれても、
変わらぬものなどない ことだけが、この世の 唯一の不変の原理
だから、
毎日、 その日の朝 おはようと、私に 声をかけて、
毎日、 コーヒーを飲みながら 私を想って、
毎晩、 今日はどんな日だったかと、私と 向き合って、
そうして 一日ずつ すごしていくだけでいい。
 
ずっと 愛し続ける なんて 言ってくれなくていい。
一日ずつ、 自分の気持ちを みつめて、
貴方の人生のその中に 私が いることを 確かめてくれればいい。
 
もしも、 いつか、 貴方の人生から、私を 切り離したくなったら、
きちんと そう 話して欲しい。
 
変わらない愛なんて 誓わないでほしい。
そんなことを 約束するから、
気持ちが変わったときに、 相手を責めてしまうもの。
はじめから、約束も 契約も そんなものが なければいい。
ただ単に、一緒にいたいから、 好きだから、
だから、そばにいる、
ただ単に、あなたは 私を愛している。
だから、一緒にすごしたい、
ただ単に、私は 貴方を 愛している、
だから、 あなたと向き合っていたい。
ただ単に、 今日も、愛してる、と それがいい。
 
一生 愛し続けるなんて 誓うより、
毎日、 一日ずつ、 愛してくれる、それだけでいい。
明日のことなど わからないのだから、
今日と、明日と、 順々に この世から 旅立つその日まで、
気持ちをつないでいけるのが、好い。
 
2006/2/9

恋しくて

 
あなたのことを 一番恋しく思う時・・・
あなたのことが たまらなく 恋しくて 泣きたくなる時・・・
 
それは、
電話を 切った 直ぐその後。
あなたの声を 聞いてしまった 直ぐその後。
なぜ、あなたが ここにいないのか、
なぜ、あなたに 触れることができないのか、
なぜ、あなたが ハグしてくれないのか、
電話で声を聞いて 安心したはずなのに、
なぜだか、一番、あなたが 恋しくなる。
 
あなたのことを 一番恋しく思うとき、
それは
あなたが ここにいないのだ、と知らされたとき・・・。
 
 
 
 

空を見上げて

東の空に  半透明の 白い半月が  かかっていて、
東の空に  千切れた尾を棚引かせたような 薄い雲が 漂っていて、
東の空の  その白い月と白い雲の間を 白く そしてかすかに シルバーに光る 小さな飛行機が
うまく 真ん中をすり抜けていくように 飛んでいった・・・・
 
月を見て
空を見上げて
飛行機を目で追って
ああ、飛んでいきたい・・・
 
I  miss you.
会いたい・・・
声が聞きたい・・・
 
そばで あなたの横顔がみたい・・・
あなたの 笑顔が みたい・・・
 
I miss you,
I want your hug,
ただそれだけなのに、
この声さえも 届かない・・・ 
 
BGM [ close to you ]
 
 
2005/12/11

精神世界 番外: keep it in my mind

 
 昨日、おもしろいことが起こった・・・。 
私が、面白いといっても、その筋の思考・視点でみないと、な~んにも、おもしろくないのですけどね・・・。
 
 昨日、読書してた間に、 感動した他に、”気づき”というか、再認識を得た部分も多かった。
そのうちの一つが、≪ ああ、そっか~。 まだ耐えられるってことか・・・。≫ と
自分でぶつぶつひとりごと・・・。
 
ここ二ヶ月ばかり、悩みに悩んで・・・ ブログ上では、心配ばかりするのは良くないなんてこと
解かった風にして書いていても、 気になるものは、気になる・・・頭の角から消えないというか、
ふと 一人になってコーヒー飲む時とか、ベランダで布団干す時とか、「あ~、どうしたんだろう、
これから、どうした方がいいのかな~」って、不安・手探り・推測・寂しさ・憂鬱などの湧き上がって
くる気持ちと向き合っていた・・・。 もう、手放してしまおうか・・・こだわるのってよくないと解かっているし、、、でも、手放すっていうのは、(この課題については)、私の望む方向じゃないし、、でも、
(相手のあることなので)わたしの 勝手な解釈で あれこれ悩むのも疲れたなあ~~ 等と
自問自答の日々が続いていた・・・。
 
さて、昨日読んでいた中に具体的な、私の気持ちを変える文章がでてきてたわけではない。
 
・・・ (本文より) これ以上の涙? まだ足りないのか? 家族を失っても? 子供たちを失っても? 家を失っても? そして Bに対する信頼を失ってもまだ?  
「時間を友としなさい」 いったい、なんのことだったのか? そうすれば、いずれは事態が好転する
ということか? ただただ忍耐強く待てということか? 
 おわかりのように、忍耐はわたしの美徳とするところではなかった。  ・・・ (以下省略)  
 
実は、彼女の自伝である本書(昨日のブログ参照 please.) を通して、わたしが今、自分が抱えている悩みの答えというか、今の状態へのアドバイスを得ることは、期待していなかった。 
むしろ、医者である彼女から、わたしが長年、疑問に思って考え続けている別の問題、医学の倫理に関する答えが、この本にあるのではないか、と思って数ヶ月前に買ったのであり、少し前に読み始めたばかりだった。 が、読み進んでいくうちに、
パズルの部品が組み合わさるみたいに、ひらめいたのだ・・・。
 (苦悶するということは、まだ、その中にいても大丈夫だと)=耐えられるってことかなあ~と。
 
 確かに二日前に 友人がメールで思い出させてくれたように、((わたしの身の回りには、この問題に関して相談できる相手がいないので、唯一、メールを通して、地球の反対にいる友達とわたしの気持ちが落ち着いたときに、悩みを打ちあけていた。もちろん、友達が答えをくれるわけではない、ただ、わたしの置かれている状況を、第三者からみて、過去から照らし合わせてくれる。それで、自分では忘れていたようなことを思い出したりする。)) 同じような問題には、これまでも ぶつかってきた。 ただ、ここまで 八方塞ということがなかっただけだ。 いや、もっとショックな問題も切り抜けてきた。 が、今は、”わたし”しかいない、、それで、どうしたらいいのか、環境も変わっている今、これから、
自分がどっちへ向かっていいのか、わからない、と、≪手放すべきか、留まるべきか・・・≫ 迷い、
悩んでいた。 
まさか、その今抱えている悩みの答えというか、ヒントを 精神科医の自伝から得るとは・・・。 
 
与えらえる問題、越えなくてはならない課題というのは、だんだん 大きくなったり、もしくは、準備ができると 次のタイプの試練が訪れたりするものだ。 
な~んていっても、他人からしたら大した問題じゃない。それこそ、この本の著者の人生に比べたら、
問題なんて呼べるようなものじゃないけれど・・・。
 
それで、 電車から降りて、家まで歩いている途中、何気なく 考えていた。  
 
 ≪まだ、耐えられるってこと、ならば、留まろう≫ 
 
そしたら、 帰宅してしばらくして、わかったのだが、 この二ヶ月、待ちに待っていたものが、昨夜、
届いていた。 届いた時間は、わたしが、ひらめきを感じてから、三時間後くらいだったが、
十分早い宇宙の”対応”だ。 thanks !
 
そう、 気持ちの中で、それを 受け入れた時に、 答えはやってくる・・・ 問題は解決されるのだ。
解決というと、問題が消えたかのように思われるかもしれないが、そうではなくて、それまで 悩んでいた
問題を、 ”問題”として 見なくなる・・・そういう変化だ。
 
そして、そういう求めているものへの答えやヒントは、”これが答えです”という形ではやってこない。
時には、つけていたラジオのDJが、語る人生観から、だったり、流れてきた音楽だったり、目の前の
林檎が落ちることだったり、 今回のわたしのように、別の理由で開いていた本の行間からだったりする。 見ているドラマの、登場人物のセリフの中からひらめくこともあるし、子供が何気なくつぶやいた
ひと言だったりもする。 
 
 たま~に、こういうことがある。 ”おもしろい”ものなのだ。 ああ、これが答えだったんだ~ と。
 
 ただ、いつ、何を 受容したら、悩みから解放されるのか、解からないのが、”問題”だ~。 まるで、役者が台本によって変装するみたいに、問題も、舞台と時期を変えて、登場人物を変えて やってくる・・・。 脚本が側っても、問いかけられている問題の核心が
同じである場合は、 よくあることだ。 自分が、それに気づいていれば、問題は、すぐに解決される。
しかし、発見するまでは、(変装しているのが、誰なのか?!)、同じように、悩んで、考えて、その核心・答えを見つけようとする・・・時間がかかるし、何度も何度も練習が必要になる。
 
ってことは、私は、まだまだ、この件に関しては、苦手だってことなのね・・・。
すぐには、問題の核心を見破れないなんて・・・。 あ~ 良かった・・手放さなくて、諦めなくて・・・。
 
さ~て、復習しなくっちゃ~~~。  
わたしと、愛(全ての人間関係に適応できると思う)に悩むあなたへ・・・・。 
 ☆ keep these in my mind. 
 
 
 
Expectation ruin the relationship.
 
Needing someone is the fastest way to kill the relationship.
 
 
愛は、 自由で、無限で、 条件はなく、 見返りもなく、
 いつも says Yes..
 
 
 ~~~~~ ☆ ~~~~~ ☆ ~~~~~ ☆ ~~~~~ ☆ ~~~~~
 
 
My candle burns at both ends
It will not last the night
But ah my foes and oh my friends
   It gives a lovely light          ※
 
       
『チャーリーとチョコレート工場』のシリーズの著者の モットー (motto )
 
 
  この光が 愛だとしたら、、、わたし達は、この愛を抱えて、人生を生き、死に逝くのだと思う。
  生まれてから、死に逝くまで 光りをみつめ、求めて 旅を続ける・・・。 一人一人の魂の中に、
  あるロウソク =光、愛によって、わたし達は、人生という闇(生きているこの間が、実は闇なの
  だという考え方があります。)の中でさえ、そこに 愛を見出し生きることができる。
                                 → とこれは、わたしの解釈ですが ・・・・。
 
  
ロウソクは両端で燃えている
夜の間もたないだろう
でも あぁ、敵たちよ おぉ、友たちよ
それは、温かい光りを与えてくれる。
 (訳は、娘のものです。)
2005/11/16

追伸: ヨウスケさんへ。

追伸: 
 
 
「今でも、君が好きだ。。」とヨウスケさんは、言って、去って行った。
木綿子さんに 『私の人生どうするの?わたしにだって、夢があったのよ。』と、離婚を切り出されて、「家族一緒にご飯が食べられる、レストランを作るのがボクの夢なんだ、」とか、「家族が一緒に、いられるように(会社を辞めて)レストランをすることにしたんだ。」って言ってたヨウスケさん・・・・。 
一見、ヨウスケさんの方が、家族思いで、木綿子さんが勝手みたいだ。
 
ボケ~~~ッ!!!
 
いまさら、 今も、君が好きだ、、って、 じゃあ、何で、10年前、『レストランをしよう 』と思い立った
時に、ちゃんと 妻・木綿子さんと 話し合わなかったの? 彼女の気持ちを考えなかったの?
レストランをするにあたり、「ボクの夢を、家族みんなで、支えてほしい」とヨウスケさんが木綿子さんに言った時、木綿子さんは、「ずっと、支えてきたわ、これまで・・・」と言ってた・・・。そう、それをヨウスケさんは、知っていただろうか?意識していただろうか?
彼女が支えてきた 10年間 、ヨウスケさんは、バリバリ仕事をし、帰宅するのもいつも遅くて、ハルカの誕生日にも、夕食を一緒に食べられないくらいで、、、(まあ、それだから、ヨウスケさんは、会社を辞めるような決断をしたのだろうけど・・・、自分の夢を叶えると言うことで・・・)、でも、そのヨウスケさんが働いている間、木綿子さんが、何を考えて、毎日どうやって生活してきたのか、、、そういうものをなぜ、考えて、思いやってあげられなかったのか・・・・ ”好きだ”というのなら・・・・。
 それとも、 結婚して、夫婦でいる間というのは、 ”一緒にいる”という契約を交わしているようなものだから、相手のことは、考えなくても安心なの?! オトコの夢を妻は、家族は、支えるモノなのか? 家族を養うため、だったら、会話がなくてもそれは、かまわないのか? 
ーーー だったら、心が離れても仕方ないね・・・。
 
根っこが枯れたら、そのあとで、どんなに水を与えたって、もう、生き返りはしないんだよ、ヒマワリだって、桜だって、庭の芝だって・・・。 
 
しおれている・・・枯れてきているのかもしれない、と思ったら、根っこまで枯れないうちに、水をあげないくちゃ! お日様に当てなくちゃ! どういう状態にあるのか、ちゃんといつも、気を配らなくちゃ・・・。
 
でも、それが、できないこともあるだろう、 気づかないこともあるだろう、、、。
そしたら、潔く、諦めるしかない・・・。 好きは好き、、でも、枯れてしまって、残念だ・・・と。
 
  ーーーーー ☆ ーーーーー ☆ ーーーーー ☆ ーーーーー ☆  ーーーーー ☆ ーーーーー
 
 ヨウスケさんも、気の毒だと思うよ、でも、、今も君が好きだ、、、なんて、そんなこと言うくらいなら、なぜ、11年前、いや、20年前、結婚した頃から、相手の顔を、気持ちを互いに確認し合い続けてこなかったのか??? と、思うのだ。 
結婚というと、ハッピーエンド、という人がいるけれど、大きな間違いだ。
ハッピーかもしれないけど、エンドじゃなくて、それからが、ハッピーを続けるかどうかの瀬戸際、スタートなのだ。 だから、結婚してから、別れる事があっても、少しも不思議じゃない、なぜなら、
結婚は、
【愛しつづける・支え続ける・一緒に居続ける】という永久保障の保険証でもなんでもない、
単なる、社会的な契約なのだから・・・。 形だけ、夫婦=結婚という状態になっても、心は、その紙切れに書かれたインクの文字のように、ずっとそこに在るわけじゃない。(インクの文字だって薄くなるかも・・・)。 だから、心を、気持ちを育みつづけることが、大切なのだ、相手と自分の見ているものを見つめること、水をやることが、欠かせないのだ。  
 
 
 
 
 
 
 
2005/10/13

願い事

 
at least  and  the most
 
 
せめてもの 願い
 
この子が 幸せになりますように。
 
最大の願い
 
この子が 幸せでありますように。
 
 
せめてもの 願い
 
世界が 平和になりますように。
 
最大の願い
 
世界が、ずっと平和でありますように。
 
 
一番大切なもの、
 
ほんとうは 限りなく ささやかで、
 
でも
 
実は、それが、
 
精一杯の
 
想い。
 
 
2005/9/19

what would love do now?

 
 
Love will find a way.
 
* 恋には 道が見つかるもの = いかなる困難も 排除する。
 
 
これって、”好きこそ ものの 上手なれ” 
見たいな気もするけれど、、、
 
恋・愛 は、 その 進む道を ・・・ 未知を、自ずと見つけていくjもの・・・・ と私は、思う。
 
Fear ではなく、 Love を 感じよう。 愛する、ということは、どういうことなのか???
Fear からくる 不安や疑念の気持ちは プラスの Love のエネルギーではないから、それにこだわるのは、やめよう。 
 
愛 LOVE は、それ自身で 未知を照らし、・・・広がっていくもの。
・・・分けあえるもの。
・・・傷つけるのではなく、癒すもの。
・・・そこに在るもの。
・・・放たれ、伝わるもの。
・・・心開くもの。
・・・自然に湧き出す、現れるもの。
 
Love will find a way  
そう信じる。 
それが、 faith  なのかもしれない。
2005/9/13

記憶の糸 ①:friendship & love

 
ある人が 私に言いました。
 
あなたにとって、愛って、愛しているってどんなこと?」 
と 私が彼に尋ねたその答え・・・。
 
「ボクにとっては、friendship とLove、愛するってことは、同じようなものなんだ、
というか、同じ要素をもっているんだ。 
それは、その関係においては、相手が何かのヘルプを必要としている時、
他の何をおいても、その相手のもとへ駆けつける。
そういう関係が愛しているってことだと思うんだ。」 
 
シンプルだけど、私の心に響きました。
 
 
 
今は、私がたとえ、孤独を感じて、誰かと話がしたくても、無性に ハグがほしくても、この彼は、
もう私の手の届かない、目の届かない処にいます。
だけど、彼のこの言葉が、その後の、私と誰かの関係を みつめる時の指針になってくれたことは確かです、
 
人と 人の めぐり合わせには、 reason ・ season ・ life-time の出会いがあるといいます。
この彼と、私は、おそらく season を共有していたようです。 
彼のおかげで、私の人生は180度変わりました。 
彼は、私に 自由を与えてくれるために そこにいてくれた、私を導いてくれたのだと 信じています。 
彼が幸せで、彼の目指すものになっていることを遠くから祈っています・・・。
=彼の 姓は、なんと、「天使が砕いたもの」という意味でした、私を救いにやってきた一片の光り、だったのかもしれません。=
 
2005/7/16

あの世 

 
あの世に 逝って 
 
そこから
 
この世の 子供を
 
見守り 導く合図を 
 
送ることができるのだと
 
信じることができずして、
 
いかに
 
この世を去ることが
 
できようか・・・・・
 
 
いかに 
 
切なく 悲しく 心許なく 苦しく 名残惜しく 苦しくとも 
 
ああ  
 
どれほど 心 愛しく 痛いほど そばで抱きしめていたくても 
 
お前を 残して 逝かなくては ならない・・・・
 
  ああ
 
この世で 二度と 顔を 見れないとしても
 
二度と 手をつないだり 頬をすりよせたり できないとしても 
 
忘れないでいて 
 
ずっと ずっと そばに居るのだということを 
 
いつも いつも 見守っているのだということを
 
それが できずして
 
どうして お前を遺して逝けようか・・・・
 
愛しているよ 
 
ああ 
 
張り裂けそうだ
 
胸が ほんとうに 引き裂かれているようだ 
 
愛しているよ 
 
健やかに 穏やかに 育っておくれ
 
私が 見守っているから 安心して 生きなさい 
 
愛しているよ
 
もはや 何を 話しても 同じこと
 
ただ、 ただ、 愛しているよ、 
 
そして、
 
幸せを 祈っているから・・・・・  
 
あの角を 曲がったところで
 
待っているから
 
また 会う日まで
 
幸せになるんだよ・・・・・
 
  
 
 
 
2005/6/24

そこにある愛 オトコの愛情:今日の「あすか」より

NHK連続テレビ小説『あすか』 (再放送) 今日、ここに、ある愛の形・・・表れを見た。

京子と三郎太 の関係の中に。。。

【ご存じない方のために:解説】 私は、この番組を初回から見てはいないので、始まりの詳細はわからないが、まとめると、この二人、京子は、京菓子の老舗の長女、三郎太は、ある、お茶の流派家元の三男坊で、結婚するはずだったのだが、気乗りのしない京子は、結納の席から、飛び出し、実家の菓子職人だった禄サン(現在の夫)と駆け落ちをしてしまった。それ以来、この老舗菓子屋は、このお茶の一門に出入りを許されておらず、菓子屋の”のれん会”の中でも、肩身をせまくしてやってきた。京子さんと禄さんの間に生まれたのが、あすか。 で、いろいろあって、あすかが小学生高学年の時に、三人は、京都の実家(京菓子屋)に戻った。で、さらに年月がたち、京子さんが駆け落ちしてから20余年。未だに出入り禁止の 扇屋(あすかの家)だったが、 あすか が、新人コンテストに菓子を出品する際、その年の審査員には、(例年なら三郎太の父なのだが、具合が悪く、それに代わって)三郎太が入っていた。 周囲は、あすかにとって不利と思っていたが、家出をした京子に、ぜひ帰ってきて欲しい、”お帰りなさい”と迎える菓子をぜひ作りたい、そう心をこめて作った菓子に、三郎太は感激し、あすか が勝利。 実は、三郎太は、今まで独身で、京子に破談にされたことをまだ許してはいないようだった。しかし、その後、少しずつ会話をするようになっていた 三郎太と京子が、ある年の暮れ、あすかが、”お茶”の心得がないと聞いた三郎太が、京子に、あすかを新年の茶会に招きたいと言い、あすかは友人とともに茶会へ。そこで散々の目に合うのだが、三郎太がさらに、本格的に あすかを自分に弟子入りさせてほしい、と京子に持ちかける。菓子作りの職人として伸び悩んでいたあすかは、 菓子の心がわかるなら、、とお稽古に通うことにする。

いろいろあったが、御稽古も無事終わり、三郎太主催の ”お茶会”が開かれることになり、茶会の菓子は、あすかのお菓子をという指名・課題も、みごとにクリアした。 そして、結果、ついに、扇屋は、20余年来の出入り禁止を解かれ、のれん会にも残れることになった ・・・めでたし めでたし・・・・(ここまでは・・・)。 

さて、どこに三郎太と京子の愛があるのか? 

確かに、三郎太、そして 彼の一族は、京子が破談にしたことを許せずにいた。京子も、後悔はしていなくとも、迷惑をかけた周囲の人々、関係者に顔向けできない、申し訳ないと20余年、そう、思って暮らしてきた。 

あすか が、一通りのお茶のお稽古を終えた日、三郎太の父が、彼に向かって、よりによって京子の娘にお茶の心、和菓子の心を教えるなんて、お前も 人がよすぎる、というようなことを言った。すると、三郎太は、京都の菓子のためだ、と言いながら、もう、恨んではいない、というようなことを答えた。それを聞いた父は、「お前も大人になったなあ」と・・・。 

さて、そんなやりとりを京子は知らなかったわけだが、出入り禁止が解けたその時、それを告げる三郎太の目と心には、京子に対する、愛が 確かに あった、と私は感じた。 あった、というより、まだ、あるのだ。

しかし、この愛は、駆け落ちして違うオトコと逃げて行ったその京子に対する執着ではない。逃げて行ってしまった京子への恨み辛み(可愛さあまって憎さ百倍・・、)の裏返し、未練でもない。憧れ、ある意味、京子に恋焦がれていた若かりし日の三郎太の、嫉妬深い恋心や、面子をつぶされた腹立たしさもない

かつて好きだったけれど、失恋してしまった相手の、しかも、別の男との間に生まれた娘に、”京の菓子のため”とはいいつつも、私の目には、 愛しい相手の産んだ、愛しい子供、を、掛け値なしで かわいいと感じる、大きな 人類愛(隣人愛)が、あるように思える。昔のことを水に流し、これまでと現状のすべてを受け入れ、二人の間のことも、世間体の柵などもすべて許す、という愛だ。あすかをかわいいと思えばこそ、そして、京子を好きだった、愛しいと思っていたからこそ、長い年月経ってからの今日、穏やかな気持ちで その人と向き合ったときに、湧き上がってくる三郎太自身の想いを、彼自身が受け留める心のゆとりがあり、それが あすかを育てたいという 気持ち、”愛”となって出たような気がする。 

あすかにお茶を教えたいと言った時、『禄さんが、職人として、菓子作りを教えているなら、私が、お茶の(菓子の)心を教えましょう、』と三郎太は、京子に言ったのだ。そして、その言葉には、これまでにあったような、”嫌味”や 仕返しをしてやろう、などというものは、何もなく、純粋に、愛しい人の子供に自分のできることをしてやりたい、という 親心にも似た 愛情、それしかなかった。

 24年前、もしかして、京子がそのまま、縁談を進めていたならば、御家同士は喜ばしくとも、もしかしたら、京子自身は、心寒い結婚生活をおくることになったかもしれないし、三郎太と夫婦にはなっても、愛し合えたかどうかはわからない。が、24年の年月を経て、今の二人なら、互いの 良いところを 認め合い理解し合うことができる、と私は思った。 二人が、もしかして独身同士であって、出会ったのが今だったとしたら、京子は(二十四年前に感じたような、嫌悪感を感じないで)三郎太に心惹かれ、結ばれることになったかもしれない。三郎太自身も、若かった頃の傲慢さは影潜め、女性としての京子にとって魅力的に映る男性になっていた、とも考えらえる。それが、彼、三郎太の成長であり、懐がが深くなった、ということではないだろうか。家柄や釣り合いで、相手を自分の方に向けるのではなく、1人の男性としての人柄で、女性を惹きつけるもの、相手を思いやる、愛情深さが出てきたように私には思えた。 

この先、京子と禄さん、そして、京子と三郎太がどうなるのか、私には判らない。再放送だが、私は昔の放送を見ていないので、ストーリーは知らないのだ。ただ、純粋に、 今の、この二人なら、理解しあい、お互いに思いやりあって、うまくいくのだろうな~、そこには、24年前には感じられなかった 愛が あるのだ、と思った。”愛”とひと言で言っても、恋愛の男女の中にさえ、さまざまな想いの 愛 がある、が、今回の三郎太の 京子への、あすかへの想いこそ、相手を思いやる、愛しい人への 尽くす愛なのではないか、と感じられた。そこには文字通り、愛の 奥義、 ゆるすこと、受け入れること、がそこに在るのである。

~~~ 人間関係とは、皮肉なものだ。今の二人なら、末永く連れ添えるやも知れぬ、が、同じ二人でも、出会った時期によっては、顔も見たくないという関係にさえ、なってしまうこともあるのだ。出会いは時の運 そして、その関係をどう育むか、それも 時の運、ではある。が、すべては私たちの自由意志でもある。 今生では、恋人や夫婦になれなかった 三郎太と京子、でも、来世では、また違う役回りで、今度は熱烈な恋人になるか、兄妹になるか・・・。どんな役回りが来てもいいように、”一期一会”、人間関係を 育んで行きたいものです。~~~ PS:だから、ふられても恨んだりしないほうが賢明である。 

2005/6/9

信じるものは、救われる?!

「見なくても信じられるものは、幸いである。」 というようなことを聖書の中でも見たことがある。目の前に見える形として、証拠がなくても、その何かを信じることができるということが、真に”信じる”ということなのだろう。 

恋人や親友、誰かの気持ちを量りかね、疑いを持ったりするのは、相手の気持ちが目に見えない、実際に何か言葉になって聞こえてこないためだろう。また、自分の推量が正しくなかったら、どうしよう?という懸念、その不安があたったらどうしようという恐れ、そんなことが、目に見えない誰かの気持ちを信じることをより難しくする。

 でも、「信じるものは救われる」 の言葉どおり、結局は、取り越し苦労だったり、見当違いだったりして、信じきれなかったことを笑い話にすることが多い。もしくは、信じきれなかったために、関係がかえって悪化することもある。信じてさえいれば、よかったのに・・・・と。信じることが足りなかったために、関係が変ってしまい、戻れなくなった、ということはないだろうか? 恋人から、夫婦になったとしても、である。 

 これは、恋愛問題に限らない。人間関係のいたるところに見られることでもある。また、日本の民話「鶴の恩返し」もそうだし、ギリシャ神話の中のオルフェウスの妻の物語もそうだ。 

「ゼッタイに見てはなりませんよ。」と言われていたのに、覗いてしまって、機を織っていたのが鶴だった、と知り、そして鶴は、飛び立ってしまう・・・。 なぜ、その言葉を守れなかったのか?二人の幸せな時間は終わってしまった・・・。

ヘビに噛まれて死んだ妻エウリディーケを取り戻そうと冥界(洞窟の中に冥宮への入り口がある)へ行き、ハーデスとパセフォーニ(冥界の王とその妻)に、地上に出るまで途中、振り返ってはいけない、妻の顔を見てはいけない、という条件のもと、オルフェウスは妻を連れてもどるいことを許される、が、洞窟を戻る途中、どうしても気になって、振り返ってしまう・・そして妻は永遠に黄泉の国へと・・・。 

もちろん、見なかったからと言って、鶴が姿を変えていた女房が、永遠に人の姿で男の妻として生活した、、、という続きは残っていないし、オルフェウスも振り返らなかったら、本当に妻が地上に戻り元気で暮らした、、という保証はない。が、どちらの話も、見ること、に頼らず、信じることの大切さを説いている。

極端な話:ドラマの中などで、配偶者や恋人の携帯電話の着信履歴をこっそり盗み見したりする場面が登場する。 浮気をしているのではないか、などと、疑っているわけだ。 そこに怪しい着信記録やメッセージがあったら、浮気の証拠になって、近々二人の間には、言い争いが起こると予想される。そこから、別れ話へと、もつれるかもしれない。 が、仮に、本当に浮気をしていたとしても、着信履歴やメッセージなどを見ずに、相手のことば( 何でもいいです、”オレが愛しているのはお前だけだよ”でも、なんでも、、)を信じて、相手と自分の絆を信じて、いれば、実は、その浮気相手とは、その一週間後に関係が終わるかも・・終わっていたかもしれない・・・そして何事もなく、夫婦・恋人同士は、またそのままの日常を続けていけたかもしれない・・・・それなのに、疑うことで、見てしまうことで、余計なトラブルを自ら招く・・・。 相手に何かを隠すことが良いことだとか、浮気が良いことだとか、言うつもりはない(浮気は悪いとも思っていない)が、黙って信じていえれば済むこと・・というのがたくさんあるというわけだ。 浮気よりも、私は、人の携帯電話などの記録を黙って見る方が、たとえ恋人、配偶者とはいえ、そっちの方が、モラルが問われると思う。そうやって、疑うことからして、その二人の関係は、すでに破綻しかかっているといえる。相手を信じ切れていないのだから・・・また、自分達の関係・絆を信じていないのだから・・・

あかちゃんの笑顔が、寝顔があんなに可愛くて、人をひきつけるのは、その疑いのない、純粋な表情がそこにあるからだ。 赤ちゃんは、周囲の人間に向かって 「私を可愛がるという保証を見せてください」などとは言わない。けれど、自分を抱いてくれる人を”信じて”、笑顔を見せる。 (人見知りして、泣かれることもありますが・・・) 

死に逝く場合も、あの世の存在を”見て”いなくても、信じていることで、救われることがある。たとえば、先に亡くなった愛した人が待っていてくれる、病の苦痛から放たれ美しい痛みのないところへ行ける、、そう思うことで、死の向こうに何があるのかという恐怖や不安から、解放される。見たことはなくても、そう信じることで心は癒され、救われるのだ。死から逃れることはなくても、死を恐れなくなることで、残りの時間を心穏やかに過ごす事ができるようになる。

人はよく、「小さな頃は、よかったなあ~」という。なぜだろう? それは、小さな子供だった頃は、疑うことを知らなかったからだ。 おとぎ話を聞いて、楽しい、嬉しい、悲しい、可哀想、、どんなことを感じても、その話しを疑ったりしない。”お話”だと解かってはいても、それを疑ってぶち壊したりしない。 ディズニーランドでミッキーマウスに会いたい・・という子供は多い、お姫様になりたい、という子供も多い。そういう子供たちは、実際にお姫様になれるかどうかとか、ミッキーマウスというものがロサンジェルスとフロリダと、パリと、浦安と同時に存在していても、そんなことは不思議に思わない。自分が想像している世界、自分を今、取り囲んでいる(お話の)世界、それを信じることができるから、彼らは、幸せなのだ。ミッキーマウスや人魚姫が、本当に自分の”お隣さん”でなくても、ファンタジーの世界を信じること、で充分、救われている。そんな子供をみて、大人もきっと、救われている・・・。

『百聞は一見に如かず』というし、また『Seeing is Believing』 (見ることは信じること)ともいう。不明・不可解だったことも、見れは、信じられる、ということだ。 どこかの本に書いてあった、バナナの味をただ説明しても、何度聞いても解からないが、1度見て、食べてみれば、バナナの味は、解かる・・・。 雪を見たことのない人に、雪の色や温度を説明できても、どんな感じで積もったり、融けたりするのか、その雪で像を造ることができるとか、そういうことは、見て見なければ解からない。その昔、水平線の彼方に何があるのか、人々は冒険に出かけた、地球は丸いのだ、と信じられなかった時代だったが、水平線がというものが動く・陸地が徐々に見えてくる、海を渡って、祖国に帰りつき、そして、人々は信じるようになった。100回聞いても判らなかったことも1度見れは判る・・・ということが、この世にはたくさんある。そして、みんな、そういうもの= 目に見てるものが、確かなもの、と思ったりもする。しかし、実は、その逆の『信じるものは救われる』 が、人生の、恋愛・人間関係の秘策だったりもするのだ・・・。 

2005/6/6

別れの電話

♪ 別れの、電話は、雨の日の 午後。 受話器の向こうで、君は確かに、雨に打たれ、声も出せずに、泣いていた・・・ ♪ 最後の、コインが、今落ちたから、今までの、 全てが、あと三分ねって、君は途切れがちに 小さく、つぶやいた~ ♪                      by  さだまさし

 今時の恋人達は、別れの言葉を口にするのに、公衆電話を使うことなど、あるのだろうか?

携帯電話なんて、なかったその昔、連絡が途絶えがちのあの人に、不安な気持ちを抑えながら、大丈夫、忙しいだけ、他のことにちょっと夢中になっているだけ、と自分に言い聞かせ、公衆電話ボックスに入った。連絡を待つだけなんて、もう耐えられないと思った。家から電話しなかったのは、もし、嬉しい気持ちになったら、今まで耐えてきた自分に何かプレゼントを買おう、彼にもペアで・・・。そして、もし、悲しいことになったら、布団をかぶってしまう前に、大声で泣いてしまうかもしれないその前に、ちょっとだけ、冷静になったほうがいいから、それは公衆電話から歩いて帰る時間がピッタリだと思ったから・・・。

『ごめん、』彼が、はじめに一言、そう言った時、私には、判ってしまった、、、プレゼントを買うことはない、と。それでも私は、『何が?』と聞き返してみた。

『オレ、他に好きな子が出来たんだ・・・だから、、』 

だから、私との付き合いは、やめたい、そういうことなのね、と判った。だから、連絡くれなかった、私の電話にも、たまにしか、出てくれなかったんだ・・・留守番伝言サービスに残しても、返ってくるのは三回に一回程度。 学校の課題の話、友人の話、バイトのスケジュール、そんな差しさわりのない話題だけで、『あ、もう、きらないと、△△と約束の時間なんだ~、ごめん、また連絡するから!』と、十円玉1つ分しか話さなかった・・・。  

雨が降っていた、レインコートなんて着ていない、傘をさしていても、足元も、肩さえも濡れていく。ただ、雨音が不思議と耳に心地好かった。。。もう、他に何も聞きたくないと思った。このまま、雨の中に、融けてしまいたい・・・・・。

それから、一週間、親切な同級生が教えてくれた、、、「恵ちゃんが、言ってたよ、あんたに悪いことしちゃった、、って。マサキと付き合いだしたの、恵ちゃんなんだね、知ってた?!」って・・・。学園祭の時、私が彼女に頼んだ、彼への伝言。それがあの二人を出会わせて、結び付けたって・・・。そういえば、恵も、私に電話をしてこなくなった・・・私から、話しかければ、普通に接しているように見えたけど・・・。

「あなたが悪いのよ、私にあんなこと頼むから、、、自分でマサキのところに行けば良かったのに。。。」恵がそういって私の前で涙を見せたのは、その後直ぐだった・・・。私は、恵を恨んでもいないし、怒ってもいない。ただ、せっかく築いてきた彼女との友達としての関係と、マサキとの関係と、その両方を同時に失ってしまった、、、恵とは、いくら友達でも、前と同様という気持ちにはお互いになれない、今すぐには、元にはもどれない・・・それが、悲しかった・・・・。ひとり、取り残されて、途方にくれた・・・。喫茶店を出て行く恵の後姿を見ながら、BGMに、さだまさしの曲がかかっているのに気がついた。

♪別れの電話は、雨の日の、午後・・・♪ 

あの頃、携帯電話があったなら、毎日、毎晩でも、連絡を取り合っていれば、気持ちの変化がすぐに判ったかも知れないし、気持ちの変化さえも、おきなかったかもしれない。そもそも、伝言を誰かに頼まなくても、彼の携帯電話に連絡を入れれば済んだのだし、、、、。 そんなふうに後悔してみても、今更、仕方のないこと。 あれは、あれで 今となっては いい思い出・・・ちょっと、苦かったけど。

でも、携帯電話がなかったから、彼も、私も、お互いに考える時間の余裕、適当な互いの距離があって、かえってよかったのかもしれない・・・。十円玉1つ、あと三分、そこで区切りがついたのだ。携帯電話だったなら、毎日でも、「どうして?なんで?」ってすがり付いてしまったかもしれない・・・気づかずに、だまされつづけたかもしれない・・・お互いに苦しくなるだけだったかもしれない・・・・。彼からのメールの文字に隠れているものを見たくなくて、勝手に思い込みのメールを送っていたかもしれない。

♪ごらん、愛の素顔が、ふたつの世界の間で揺れる、シーソーゲーム、喜びと、、、悲しみと、、、♪

でも、あの雨は、6月じゃなくて、11月の、冷たい冷たい雨だった・・・・。        =おわり= 

 

2005/5/21

アラビアの窓

 今日飲んだカルダンモンの味のするカプチーノ、こんなものも、いつか、懐かしく思い出すのだろうか? 砂漠の街に雨が降る。雪さえも降る。 カフェの屋根にパラパラと絶え間なく鳴り響いていた。 窓辺にたたずんで、ぼんやりと霧に煙った街並みを見下ろす。冷たい雫が車も葉を落とした街路樹も濡らしていく。吹き付ける風が雨音を激しくする。♪'cause I'm your lady and you are my man ♪(by セリーヌ・ディオン)懐かしい曲が耳元に流れてくる。そして、それを私は静かに胸に刻む。 異国から、遠く離れた人を想う。 ♪and I will always love you ・・・♪(by ホィットニー・ヒューストン) ふと、そんなメロディが頭をよぎる。 ♪I will be right here waiting for you・・・♪(by リチャード・マークス) とあなたの声が聞こえる。 Que es Amor?  ため息をどれだけついても、あなたに私の涙は届かない。月の出ない夜、雨の夜は、虚しさ、恋しさが募る。

 一月の雨、二月の霧。人恋しくなる灰色の空を見ながら、ラジオから聴こえて来た曲、♪wherever you go, whatever you do, I'll be right here waiting for you,  ~~ in the end if I'm with you, I take the chance, ・・・・♪ 偶然とは思えないほど、、何度も何度も、この曲がかかった、私がラジオをつけている度ごとに・・・。そうであってほしい、と私はため息をついた。彼がどう思っているのか、何を感じているのか、知る手立てのない私が、それを知りたいと祈っていた、その答えのように思えた。 偶然など、この世にはないのだ。こういう”偶然”のようなことを含め、あらゆることに”意味”を見出すのは、---言い方を変えれば、日常を含むあらゆる出会いや出来事に”意味”があるのだとしたら、それを解釈し意味づけるのは、---他ならぬ自分自身なのだということを私は、学びつつあった。

 五月、死海に土星が沈む頃、夜風は生温かく、アラビア語の恋の歌が石のアリーナに響いていた。 ハビビ、ハビビ、たとえ、二度と君に会えなくても、君を僕のものにすることが叶わないとしても、ハビビ、僕は君に一生を捧げるよ、僕のこの想いを解かってほしい、ハビビ ♪ アラブの人々がロマンティックな恋愛にアレほどまでに憧れるのは、なぜだろう?現実社会で自由恋愛ができにくいからかもしれない。で、おかげで、切ない恋の歌には事欠かない。 無駄な音の無い世界。 人々の小声のささやき、ベリーダンスのBGM, 踊りの合間にスピーカーから流れるラブ・ソング、 木々の葉が擦れ合う音、ソフトドリンクを売っている人の声、どれもが群青の空気に溶け込んでいくかのようだ。 私は、ひとり、自分がなぜここにいるのか、考えてみる。 『ルーミーの寓話』の『The cage-bird's escape. A tale from Rumi.』 (ルーミーの話の中に書かれている 籠から逃げた鳥の話。)を読んでから、私はかなり長い間、これを恋愛問題と重ね合わせて考えてみた。実際、この寓話は、宗教的な解釈をし、そういう意味で捉えることもできるものらしく、恋愛の詩と限っているわけではないのだ。この話の示すものは、つまり、「自由を手に入れたければ、死をも覚悟せよ、」ということで、迫害にあっている者には、迫害を恐れず、自分の信仰を大切にせよ、さすれば、死後において、救われる。もしくは、迫害されても死ぬ覚悟で信仰していてこそ、信仰の自由は得られる、迫害者こそが、自由を奪う敵であり、敵の言いなりにならず死を恐れず、自らの信仰を守れ、などと解釈できる。 イスラームの信仰に限らず、どの社会のどの宗教においても、また、一個の人間の個人的なその人の”信念”と置き換えてみるととてもよく解かるものだ。それを私は、恋愛に置き換えてみた。愛する者のもとへ行くためなら、死ぬことさえも耐えるなり。そしてこそ、自由を手に入れることが出来る、と。 私が読んだその本には、こう解説されていた、『自由を選ぶ・勝ち取る方法: もし、愛する者と一緒にいたいのなら、何もかも、あきらめる用意をしなくてはならない。命、そのものでさえも。その時、神(アッラー)のお力によって、心から願うことを得ることが出来る。移動できない籠の中にいたのでは(この話の主人公は、鳥。)、生きていることにはならない。生きるために、愛する者のところへ行くためには、命を投げ出すことさえ必要なのだ。』と。 アラビアの人々は、昔から移動して暮らしていたので、いわゆる定住し何かに縛られて生活するというのは、彼らの本質にあっていないらしく、そういう意味でも、「籠の鳥」を題材にしているようだ。遊牧民として自由に移動できる暮らしをしていた人たちが、国ができ、国境ができ、街ができ、定住させられるようになり、、、という”窮屈な時代”の流れに翻弄されるアラビアの民を現しているようにも思える。 アッラーのお力、とは言わないものの、いわゆる宇宙的な法則はこの世にありえると考える私は、神(アッラー)というより、岩をも動かす信念こそが、自分の望んでいるものを叶える鍵、そういう状況を開く鍵だと感じ、この籠の鳥の話しを繰り返し、繰り返し読んでは、身震いした。 

 何時間経ったのだろう、死海からアリーナに吹いてくる風が、心なしか冷たく感じられるようになってきた。そろそろ部屋に帰ろうか。まだ、いくつもの、恋人たちが、アリーナの石段に腰を下ろしたまま、肩を寄せ合っている。昼間は、青く澄み渡る死海の水面も、夜は、暗闇に溶け込んで息を潜めている。風が吹くたび、椰子の樹の葉が、かすかなざわめきを起こす。背後の岩山を照らす月灯りだけが、時間が経っていくことを知らせている。 土星は沈んでしまったようだ。 また、明日の夕方、西の空に表れるまで、、、、。私たちの目に届く、夜空に瞬く星々。想像できないくらいの時間をかけて、それは、地球の空に届く。奇跡というものは、自然に反して起こるものではなく、自然そのものなのだ、と誰かが言っていた。 私が、土星を見たように、その後の夜空に瞬く星を見つけたように、私が、遥か彼方からのあの星の光を見る、ということ自体、奇跡のようなもの。そして、それは、もちろん、自然なものだ。 時代を超えて、恋人達が再び、巡り合うのも、また、奇跡的なのかもしれない。果たして、その関係、絆をいつまで、どこまで、信じられるか・・・。夜風には、すでに夏草のにおいがした。どこかの部屋の窓から、私の好きな唄が聴こえてきた。

 Tamally Maak♪~~ I am always with you even when you are far away..... your love fills my heart.... I am always with you.....~ with you here I have nothing to fear. ~ Tamally Maak(=Always with you) ♪ 僕はいつも、君とともにいるよ、たとえ君が遠く離れていても。君の愛が僕の心を満たしてくれる、僕は、君と一緒にいるんだ。 君がここにいる、僕には恐れるものなど何も無い。                               【Tamally Maak ;歌 Amir Diab】   

(注:私がカルダモンのカプチーノを飲んだのは、すでに数年以上前のことです。)

追伸: ハビビ というのは、アラビア語で、ダーリンとか、かわいい子などという意味で呼びかけに使われます。また、男子の名でハビビというのもあります、女の子にかわいいという場合は ハビブティ、男の子に対しては ハビ~ビ、となります。が、唄では、男性歌手も恋人に対してハビビと歌っているようです、詳細は解かりません、あしからず。                

2005/5/18

To await pleasure is pleasure itself.

そうは言っても、待つのはつらい。

次にいつ会えるのか、判らないのは、もっとつらい。

でも、サンタクロースが持ってきてくれるプレゼント、クリスマスが来る前に、そのクリスマスを楽しみにする気持ちは、解かる。

土に蒔いた花の種、芽が出て、そしていつか、花が咲く。その花が咲くのを日々、待ちながら世話をする。 

旅行に行く前に、あれこれ準備をする。訪ねる場所のことを調べたり、持って行くものを考えたりそろえたり、新しいカバンや履きやすそうな靴を買ってみたり・・・。 楽しみって、そこに行きつく過程も含んでいるよね。

 ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~ ~~

To await pleasure is pleasure itself.

楽しみ・喜びを待つこと、それ自体が、楽しみであり喜びである。 

 あの人が帰ってくる。確かに、そう聞いた。突然、かかってきた電話。留守番電話に久しぶりの声。彼からかけてくるなんて、そんなこと、今までにあったっけ?! ないな~。せいぜいメールだな~。 彼の帰国まで、さて、あと何日? 3日か~。 帰る事、前から決まってたのかな? 突然、休みが取れたのかな?でも、わざわざ日本へ戻ってくるなんて、どうしたんだろう? 

『21日土曜日、空港に着く。着いたら電話する。じゃあ。』

あれだけじゃあ、わかんないよ。 ま、連絡くれただけでも、嬉しい。いやいや、と~っても嬉しい!!すご~く嬉しい!!! 一年と二ヶ月ぶりだな~。 あ~っと深呼吸。外は晴れ  多分、土曜日も晴れ。 いつ着くのかな?朝の便?夜かな?夜だったら夜、って言うよね?!

気になって仕方がないから、メールで聞くことにした。 電話はしない。だって、昨日も、おとといも、電話、オフなんだもん。どこにいるのか知らないけど、ヴォイスメッセージの声、聞いても仕方ないし・・・聞きたいのは、到着の時間だし・・・・。でもなあ~、返事来ないかもしれないな~、折り返し返信くれることなんて、滅多にないもんな~。なのに、なんで、私たちってこういう関係、続いているんだろう~。待つしかないのかなあ、結局。でも、きっと日曜日は、一緒にお茶できるよね、、、土曜に着くって言ってるんだから、土曜日のうちには連絡くれるよね?! こんなにウキウキした気分、久しぶり、 ホント。

                                今日の私へ・・・  【千里の道も一歩から】

**フィクションです。