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2009/9/13 記憶バロック音楽は、好き。
緑生い茂る草原や、まばゆい陽の光がところどころに差し込む森や、そんな風景と ともに思いだされる。
バロック音楽を聴いても、
カラスが鳴く 夕暮れの、秋の日本の里は、イメージされてこない。
なぜかは、知らないけれど、
記憶のどこかに その 音楽と、 その風景が ともに 残っているのだと思う。
それは、魂の記憶なのか、
それとも、育ってきた過程で、 周りから、 学び覚えた好みなのか、
バッハやヘンデルを聴いて、
教会のある風景を 思い描くことはあっても、
お寺や神社や、宮の森が 浮かんでくることは・・・あまりない。
お寺や神社は、また別の 音楽とともに 心に浮かぶ。
音楽や、匂い、、、それは、忘れかけてる記憶を呼び戻す・・・ 魔法の杖。
2009/9/4 満月2009/9/3 この世の…人生の・・・チョコレートと バラの花、
赤ワインと コルビーチーズ、、、
会いたい人に 会えない、って 何がどう転んでも、 やっぱり 悲しい。
我慢という 程じゃない。。。
忍耐ってわけでもない。。。
ただ、受け止めている・・・ 今 目の前にある 現実。
ああ、 思い切り 泣きたい。
どうしたら、 泣けるのですか?! 2009/8/15 空を見て思うこと・・・ふるさとは恋しい・・・けれど・・・しばらく前に見ていた あるテレビドラマを録画したものをしばらく前に見ていた時に出てきた言葉(セリフ)
親にできるのは、子供の幸せを喜んであげること、&見守ること」だと、、、。
なんとも ありがたい言葉ですね・・・ (日本にいる私の家族・親せき縁者に聞かせてやりたい!) 親のそばにいなくちゃならないなんていうプレッシャーかけられる身としては、この一言で救われる思いがします。 そして、私は、 「子供にできるのは、親に感謝すること」と思うのです。 子供を持つ身として、娘がこの年になってから思うのですが、
子育て~娘を育てる~をしているのは、別に、娘に老後の面倒を見てもらいたいとか、世話をしてもらうためではないし、彼女のやりたいことや行きたいとところなどを親の為に“変更”してもらいたい、などとはおもっていない~ やっぱり娘の、彼女のやりたいことをやって(彼女が心底、親と同居して、地元で生活したいっていうのなら、それはそれで喜びますが)楽しい~充実した彼女の好きな生活をしてほしい~と思う~願うわけです。 そりゃ、親から離れていくのは、さびしい~それに、独立していったら、顔を見せてくれるのだって、一年に一度くらいになるかもしれない~~さびしいって思うだろうけど、私の為に、彼女の人生をコントロールしたいとは、思わない。 だけど、親のそばにいない(親の面倒を見ない)子供は、親不孝者だ~ なんていう人々も、まだまだ 多い。
そばにいないからといって、親のことを思っていないわけではないし、気にしていないわけでもない・・・。
そばに(近くに住んで)いればいいってものでもないと思うのですが,
親元離れ、国まで離れている この身としては、辛いものです・・・。
2009/5/16 寒いせいかなあ~面倒くさいこと が たくさん・・・・
別に いいんだけどさ~~~~。
寒いせいだか、あれこれ なんだか 気持ちが 荒んでくる気がする・・・。
でも、面倒くさいな~、 いやだな~ って思うと、そういうことが また 自分に降りかかってきたりするから、
ある程度、その気持ちを感じたら、 なんとか、気分を 切り替える方がいいんだよね。
いじいじ するも、しないも、 結局は、自分次第だからね~~~~。
寒いから、部屋に じ~っと 座って、窓の外を見ているせいか・・・
窓の外の、、、雲が流れていく グレイな空が 気分を 滅入らせるのか?!
外を見るのは、別にいいんだ・・・ 雨が降っても、風が吹いても、雲が どっちに流れても、 青空が顔を出すことだって あるんだから・・・。
それを、しっかり 部屋にいながらにして、眺めることができるんだから・・・。
要は、 ネガティブな、、、寒い 連鎖を どこかで 断ち切らなくちゃ、ってこと。
「笑う門には 福来たる」ってね・・・。
さ~て、何かおいしいものでも食べて、 ゆっくり眠ったら・・・明日は、 (気分も) 晴れるかな~。
2009/4/9 心と脳 心・・・・感情と 脳・・・考えること、思考が ぜんぜん 違うもの・・・別物であるって、 実感する。
そのうえ、こころのままに動くのを 脳が、コントロールしようと、、、思考をフル活用して感情をコントロールしようとしているのが、よくわかる・・・。
わかりすぎるくらいに わかる。
脳は、心臓や 手足と同じように、体の機能の一部であるわけで、つまり、機能しなくなる~ことが、ありえる。
こころも、“病気”になることはあるけれど、こころが 機能不全に陥ったとしても、それは、 脳や内臓や手足のように、その疾患を目で見ることはできないし、
治ったかどうかを 見ることもできない。
車に例えたら、、、脳は エンジン? いや、エンジンは、車を走らせる(ガソリンをもらって車体を動かす)から、心臓にあたるのかな・・・・。
じゃあ、脳は何だろう? 心臓がモーターのような部分だとして、脳は、エンジンの回路・配線だろうか?!
万が一、壊れても ある程度なら修理が可能だ。
けれど、
結局、タイヤを交換するとか、ガラスをはめるとか、車体(板金)を修理するなどは、できるし、その一部が壊れたままでも、車は動く。
けれども、エンジンが、壊れたら~、タイヤや車体、内装がどんなに きれいなままでも、 車はうごかないんだな・・・・。
では、
心は・・・?!精神は?! エンジンをかける 鍵なんだろうか?!
鍵を失ったら、そう、エンジンがどんなに良い状態でも、タイヤが新品で、車体もきれいであっても、鍵がなければ、エンジンはかからない。
へんな結論だけど、
心 と 脳は 別物なんだよね。
しかも、、、車のカギは、、、車に不可欠なものだけど、車から 取り外しが可能なもの・・・・。
その鍵を握っているのは、運転手!
人間の体の場合、、、鍵=心=精神(意識・魂)を握っているのは?!
車に鍵が差し込まれて、はじめて エンジンが動き出すように、、、、
それは、
意識(魂・スピリット)・精神が 肉体に入って、初めて、 脳や内臓を統括し、動かすことができるのにちがいない。
脳死の場合、内臓を 移植する、、なんていうことがあるけれど、
まさに、それって、人間の体を 機械のように とらえているってことだよね。
車も、エンジンが動かなくなっても、その他のパーツが 良好な状態なら、そのパーツごとに バラバラにされて、再利用される・・・・。
なんだか、悲しい。
走り続けてきた車。。。。
少し休んだら、また 走り出してほしい。。。
そんなに フルスピードじゃなくて いいから、
少しずつ、 風を感じて、お日さまの下、 緑の空気を吸いながら、ゆっくり ゆっくり 野山を行こう・・・
走り続けてきた 車。。。
そんなに エンジンに不具合が生じていたんだろうか・・・。
エンジン回路が、混戦して、機能不全になっている・・・・そうだとしたら、 それって、脳死になるのかなあ・・・
モーターは動いても、、、エンジンはかかっても、車を車として機能させられない・・・それが、エンジンが壊れたっていうこと・・・?!
それって、心臓は動いていても、脳が機能していないってこと?!
感情で 泣きたくても、
脳が、 それを ストップさせている・・・。
「人間の 感情・気持ちは、どこが コントロールしてるの?」 ・・・ それは、脳だよ、なんていう人がいるけど、それは、違う。
感情は、脳で 作りだされるものでも、感じられるものでもない。
けれど、感情は、脳の思考によって、コントロールされることが多い・・・・ 特に 大人になるにしたがって・・・・。
そういう意味では、脳は 感情を コントロールしているけれど、脳が、感情を生み出す場ではないのだ。。。
・・・・・
ああ、 心は鳴いている。
なのに、いろいろ 日常生活に合わせて、 ”考える”自分が、悲しい・・・・。 泣きたくても、泣けないほどに、切ない。
2009/3/8 本日、風あれど、快晴なり!朝から、晴れ!
多少、風はあるけれど、気温も 高め、蝉も鳴いてる よい天気。
時折、風が強く吹くと、木々の葉のこすれる音が ばたばた~と 聞こえる。
おかまいなしに、蝉は、なきつづける・・・、もう、夏も終わりなんだから~。
青い湾と 蒼い 向こう岸の山々、 白い雲は ゆっくり 浮かんでいる。
こんな晴れてる気持のよい日は、家にいるのが もったいない!
せめて、テラスで お茶でも飲みたい。
今朝は、ブランチに サンドイッチ三種類作ったりして、いつもより がんばってしまったので、
今になって、疲れている・・・。
でも、このまま だらだらしてるのも いやだなあ~。
窓の外を見るたびに、外に出たくなる。
2009/2/19 自分に腹が立つとき・・・なぜ、、、思った通りの 時間運びができないんだろう~って いつも イライラする。
早く 食事の仕度を始めたのに、結局、夕食を食べるのは、前の晩と 15分しか違わない…時間になった。
45分は早くなる予定~だったのに。
お弁当のメニュー、朝食のおかず、 両方、単純なものだから、今日は 簡単で、早くできる、と思ってたのに、
結局いつもより遅くなったりした。 作り始めたのが 遅かったわけじゃない、のろのろ手作業が遅かったわけでもない。
つまり__??? 要領が悪いってこと?!
え__???(そう 思いたくはない)
だって、 毎朝・毎晩やってることで、 対して新しいことなんてしないのに、要領がつかめてないってことは、考えたくない。
それに もっと イライラするのは、結局 後かt付は 私たするってこと・・・・。
だから、なるべく タイディに調理したいし、片づけやすくなるように考えて 食器を使ったりしているはずなのに、
家族の朝食を作り、食べさせ、お弁当を作り、出かけたあと、 煩雑な台所に残るのは私。。。
自分はそれを食べないのに どうして こんな苦労を朝からしなくちゃならないの?・って 思う。。。
コーンフレークとオレンジとか、トーストにチーズ、ジャム、ハムとか、 どうして、そんなメニューじゃ だめなわけ?!
ご飯・・・お米が食べたいって・・・?!
野菜をたくさん食べたいって・・・?!
そう言われれば、仕方がない、、、作るよ、作れないわけじゃない、って思うけど、 手間も時間もかかる上に、 私自身はそれらを食べたいわけじゃないんだ・・・・
こういう労力を使うときは、とっても ストレスがたまる・・・。
日本にいる時とわけがちがうんだから、 朝食だって、 米飯用に考えて作るのは、面倒くさいんだよ。
適当な大きさの鮭の切り身が店に売ってるわけじゃないんだから・・・・。
シシャモや鯵の開きだって ないし、新鮮な豆腐だって、ないんだよ。
スクランブルエッグにソーセージとか、ベーコン&目玉焼きとか、 毎回同じゃ 飽きるだろう・・・と思ってしまう日本人の舌の感覚・・・が恨めしい。
朝食をうまく時間どおりに作れない(和食が面倒だと)のを人のせいにしてるけど、
本当は、それもこれも、含めて、今日は“面倒くさくない”調理メニューだったはずなのに、時間がかかったことに、腹が立つんだよね。
自分で 自分の考えてたとおりに 事が運ばなかったことに 腹が立つんだよ・・・。
計画通り、自分の期待通りに 完璧に 事が運ばないのは、とっても 腹が立つ。
だから、
もともと 私は物事に 期待しないことにしている。 期待っていうか、自分で自分を 追い込まないために、たとえば 家事だって、完璧にはできないって
自分は手抜きなんだって、初めからそういうことにしている。
そうじゃないと、とてもじゃないけど 疲れてしまうから・・・。
すべての部屋を毎日きれいに 掃除して、選択をして~~~^なんて、家事が大好きな人なら 苦にjはならないのかもしれないえkど、私はそうじゃない。
できるってのと、好きってのとは、違うんだ。
できないことは ないけど、決して、好きじゃないんだ。
だから、好きなら頑張ろうとか、努力しようとか、工夫しようとか、いろいろ ポジティブに たとえ時間が何時間かかろうとも家事をして 満足していられるだろうけど、
私は、違う・・・。 家事は、好きいじゃない。 嫌いってほどじゃないけど、「やらなきゃいけないから」やってるだけ。
やらずにすむなら、したくない。
そんな自分が完ぺきさを求め始めたら、自分に腹が立って仕方がないって 判ってる。
それこそ、自分が 予定通り働いているときに、電話がかかってきて 10分中断したり、予定が狂ったりするだけで、気分が落ち込むんだから・・・。
フレキシブル、臨機応変、柔軟に対応、、、そして、過度な期待はせず、ストレスを溜めないこと、、、を モットーに、家事をするわけだ。
なのに、、、
今日みたいに、いや、昨夜も そうだったから、 今朝のことが余計に覆いかぶさってきたのだけど、
どうして こんな 単純な食事の支度なのに、 こんなに時間がかかって、こんな台所のあり様なの?って 自分が嫌でたまらない。
パプリカを蒸し、コーンを蒸し、
いんげんを茹で、白菜を茹で、
ソーセージを茹で、
マッシュルームを刻み、パセリと合わせて 卵焼きを作る…
オレンジを切る。
おにぎりを握る・・・。
ルイボス茶を冷やして水筒に入れる。
こんな単純な調理だったのに・・・・。
自己嫌悪・・・。
昨日の夜だって、
マッスル(mussel =ムラサキイガイ)を 洗って、酒蒸しして、
スイートポテトを、バターとブラウンシュガーと水で ソテーして、
大根、白菜、ブラウンマッシュルーム、玉ねぎ、ハム、のクリーム煮を作って、、、
準備万端のはずだったのに、
最後に、
ポテトにシェリー酒をたらして、ちょっと加熱して、
貝(マッスル)の殻を半分とって、並べて、にんにくとオリーブ油とパセリと白ワインで 軽くソテーして仕上げた、、、
これだけで 予定が大幅に狂ってしまった・・・。
時計をみたら、泣きたくなったよ。
ご飯は かなりまえに炊けているのに。。。
その上、今朝のことがあったから、
なぜ、時間どおりにできる、、と踏んで(計画して) スタートするのに、
こんなに時間がかかるの?!・・・・ と、泣きたくなった。
家族はでかけ、暗い気分で 家に残る私。
テレビの音声が うるさい。
いつもは、 音がないとさびしい~なんて思うのに、こういうときはムカつく。
携帯電話が鳴る、 メッセージの着信音。
しばらく前から、メッセージが着信したというメッセージが画面に出てこないから、わざわざ
メッセージ機能へアクセスしないと メッセージも読めないし、返事も打てない。
イライラする。
返信しようとしていたけど、
「なんで こんなに めんどうくさいの?!」 と携帯電話をソファに向かって投げつけた。
コーヒーさえも 飲みたくない。
自己嫌悪
そrでも、家事は やらなくちゃならない。
ベッドメーキング、
洗濯物、 ・・・今日は、 デリケート衣類を 洗おうと思っていたんだ。
台所に戻って、
いやいや・・・ 後片付け。
先日のブログに書いたあと、昨日も、一昨日も、予定通り家事は終わって、10時には、コーヒーを手にしてて、パソコンを開くことができていた。
今日は、気分がイライラしている&暗いから、 コーヒータイムなんて 気分じゃないし。
家族のあとで (片づけ前に)一人で朝食を食べるのだけど、 それさえも、自分のために何かをする気になれない。
いっそ、お皿でも 壁に投げつけたかったけど、それを 片付けるのは、私なんだ・・・って解ってるから、それは、しない。 したくても、できない。
だって、そんな 後片付けをするのは、余計に惨めっていうか、嫌だもん。
メールの返事が気になりながら、食器を洗い、流し台をきれいにして、
床の掃除をし、
洗濯物を干して、
コーヒーの代わりに、 冷蔵庫に眠っていた アイス・ティ を飲んだ。
今日のカードを引く
「 I can rely and depend on my inner strength. 」
yeah, I need that ! と心の中でつぶやく。
腹が立つのは、おさまってきた、、、、
結局、 すべては、 自分次第なんだ、って 判ってる。
こんなに 予定通りにいかない日は、
「だらだら ごろごろ する日!」 と自分で決めればいい。
そしたら、時間が 気になっても、自分を責めることもない。
それでも やっぱり なんとなく 午前中が 無駄に終わってしまった気がする。
それは、予定通りに、、、自分の好きな=予定通りに、事を 運べなかったから・・・・
毎日、 “するつもり”のことが できずに 時間が過ぎてしまったから・・・・。
こんな 自分の性格をもてあまして、また、イライラするんだ。
結局は、そんな自分をどう捉えるか、自分次第なんだけどね。
あ~あ、今日は、 家事が“予定通り” 10時過ぎに終わったら、シャワーを浴びる予定だったのに、
もう、正午近い。
自分の時間= 自分ひとりで 自分のために使える時間= が どんどん 過ぎる・・・・。
今日、午後は、オレンジケーキも焼きたかったけれど、
このままだと、時間もなさそう。
さて、せっかく片づけた台所を 汚したくないし、(=使えば、きれいにしなくてはならない。できるだけ、昼は、パスしたい。
台所に立つ&キレイにするなんて、一日 朝と夜の二回で充分。だから、昼ごはんは、できるだけ まな板も火も使いたくない。)、時間もないから、
ランチは 食べないことにして、シャワーを浴びることにしようか。
あと二分で 正午・・・。
ああ、、気分がイライラしたり、落ち込んだりすると、結局、物事が滞るから、自分のネガティブな気持ちから うだうだするのを やめて、
たとえ ちょっとイライラしても気分を買えればいいんだけど、自分自身に腹が立つ時は、それが うまくいかない・・・。
自分に腹が立つときの、、、、自分のなだめ方、ポジティブに気分転換する方法、、、なんとか しなくちゃ。。。。と、ため息をつく・・・。
2009/2/16 こんなの、、、、私じゃない~新しい土地の、新しい家に 引っ越して、、、家具も揃って、娘も学校に行きはじめ、荷物もなんとなく片付いて、ようやく 日常のルーティーンが
決まってきたような~そう、やっと落ち着いたと 思ったこの週明け。
家族を見送り、自分の朝ごはんを食べて、家事をして、ようやく ホッと 一息~コーヒーでも飲もうかなと思ったら、もう11時だった。
こんなの、、、、自分で自分が許せない! っていうか、これは、私らしい 時間じゃない!
そりゃ、時間がかかったのは、自分のせいだけど、いくらなんでも 11時は遅い!
朝のコーヒーは、やっぱり10時半には 飲まなくちゃ~! これが、私の時間!
ってことで、明日からは、時間短縮に努めつつ、家事の割り振り ( 毎日、すべてをすることないよね。今日だって、全部はやってない。
いろいろ手間がかかるだけ。。。)=つまり、うまく手を抜くようにし、10時半には コーヒーを飲みながらパソコンに向かえるようにしたいと
思います。
ちなみに、今、ニュージーランド、ウェリントンにいます。 2008/10/3 会いたい人会いたい人には、、、会いたいんだよ・・・・。
ときどき ふっと 心の 奥そこから、 その 恋しさが 浮上してくる・・・。
あきらめているわけではない・・・
けれど、もがいているわけでもない・・・
現状を受け止めている、、、 自分に そう言い聞かせる。
でも、
会いたい人には、 やっぱり 会いたいなあ、、、、そういう気持ちが強くなることだって、あるんだよ。
2008/9/30 二日目うふふ。。。
朝バナナ ダイエット 二日目!
それにしても・・・
先週、 あのテレビ番組後、 近所にある 2箇所の食料品売り場から、バナナが いっきに 姿を消した(もしくは、ふだん山積みのバナナの
コーナーが、空っぽ!に近い状態)のには、驚いた・・・。
妹の住んでいるところ~ 彼女がいつも利用する大きなスーパーも、安いバナナは、 消えていたそうだ・・・・。
ちょっと高めのは、残っていたらしいけどね。。。
まあね、朝バナナ ダイエット、、、問題は~、毎朝、バナナ数本が要のため、、、、つまり、「バナナがない」という状態だと困るから、買いだめしておかなくては
ならないってことかな。。。。 そりゃ、毎日 買いに行ってもいいけど、 ↑ ね、売り場になかったら、買えないんだから~~~。
我が家は、娘と二人でスタートしました。
とりあえず、ひと月、、やってみようと思います。
2008/9/25 ひとりごとゆとりって 必要だよね。
どんなに ふだん いい人でも、 ゆとりのない時は、、、、“嫌な人”になったりする・・・。
どんなことにも、ゆとりは必要・・・。
なのに、日本では 学校教育でさえ、 ゆとりを なくそうとしている・・・・
ああ、なんか、、、おかしいんじゃないの?! 2007/7/19 遅れてきた・・・訃報地元ではあったが、実家や両親に大したことがなくて よかったと思っていた・・・
ところが、
恩師が、亡くなった。 亡くなっていた。
昨夜、倒壊した寺の瓦礫の下から、発見された。
妹からの電話で、ニュースにテレビのチャンネルを合わせたら、その途端、先生の名前が そこに映った・・・。
年齢は、近い・・・ 同姓同名がそれほどいるような名前ではない。
おどろいて、確認のため、慌てて、かつての同級生に連絡をとった。
果たして、、、・・・ それは、恩師のこと だった。
卒業してから、唯一、また会いに行きたい、と思える先生だった。
部活の顧問であり、体育も受け持ってもらったことがある。
いつも、背筋をまっすぐ伸ばし、 きびきび しゃきしゃき 歩く 先生だった。
ものすごく 恐い先生という 評判で、 確かに、 怒鳴られると 迫力のある、 厳しい先生だった。
が、情のある、理解のある、先生だった。
我が母校は、一応、進学校で、私が、その部の、マネージャーになりたい、と申し出た時、
「成績が下がらないと約束すれば、やっていい」という 先生の言葉に、
「これ以上、下がることは ありませんから~」と私が答えると、笑って 許可してくださった。
校内で 数ある運動部の中でも、厳しく 且つ 活動日・時間の 長い部だったが、
翌年の夏休み、一ヶ月のアメリカへのホームスティプログラムに参加するため、部活の合宿などに参加できないと
先生に伝えに行った時、 ”大事な夏休みの合宿に出れないなど、そんなことなら、いっそ部活を辞めてしまえ”と
怒られるか・・と覚悟していたが、意外にも、快く 部活の欠席を了承してくださった。
思えば、あの一ヶ月のアメリカ体験が、私のその後に大きな影響を与えたと言えるのだが、
あの時、先生が快諾してくださらなかったとしたら、部活を辞めていても渋々続けさせてもらっていたとしても、
不快な想いが残ったかもしれない。
それを、二つ返事で、「行って来い」と 言ってくださった・・・・、ただ頑固で恐いだけではない 先生だった。
私は、先生に 可愛がってもらった・・・・。 それ以外の言葉はない。
それなのに、卒業後、私は、ろくに 先生に会いに行かなかった・・・。
妹が、私と同じ活動を 同じ先生の下で していたせいもあるが、 黙っていても先生の様子が伝わってくるので
安心しきっていたのかもしれない・・・・ 海外で生活している間も、先生は、ずっとあそこにいると思って・・・。
いつでも、あそこに帰れば、先生がいる・・・、退職されたと聞いた時も、そのまま地元におられる、、、と。
本当は、娘が生まれた後、 娘を連れて、先生に会いに行きたかった・・・そんな思いもあった。
ニ年前、 ヨルダンでの生活をまとめたものを共同出版した文庫本と、 縁あって英語から翻訳したある本の 二冊が
無事、出版された時、 これを機に、ご無沙汰を詫びつつ 挨拶に行こうなどと、思っていたが、ついつい 後回しになってしまった。
成績が下がらなければ・・・どころか、いっこうに 上昇しなかった私の成績だが、それでも、卒業後、こういう生活をしています、と
せめて報告をしようと、、、思いつつ、ついに、果たせなかった・・・。
去年の夏も、足を運ぼうと思いつつ、短い盆の帰省中に、行かずじまいだった。
自業自得なのだが・・・、「明日やろう、は、馬鹿やろうだ・・・」 というあるドラマの台詞があったが、本当に そのとおりだ・・・。
自宅を出て、地震の災害に巻き込まれたということは、、、、自分でひとりで歩いて出かけていた、ということだから、、、
先生が、つい先日まで そういう元気な状態だったということだ・・・それが、せめてもの 救いか・・・・。
でも、それならば・・・・、いや、それだったら、あとひと月後には、私もまた帰省して、(来年の夏は、海外に出ることになるかもしれないので)
今年こそは・・・・と、思っていたのに・・・・。 -----これは、今更に、私の勝手な言い分だ、と解かっているが。
眠れなかった・・・眠くならなかったし、深夜遅く、布団に入ってからも、先生の姿を あれこれ 思い出していた。
先生の笑顔が、、、あの、真っすぐ歩く背中が、、、怠惰な態度を怒る恐い顔が、、、さっそうと歩く姿が・・・・、私の記憶には つまっている。
「これが、私の娘です」、そういって、娘を連れて行きたかった・・・・・ ごめんね 先生。 連絡、とらなくて、会いに行かなくて ごめんね。
あの部活は、私の高校生活の中で、大きな 大事な 誇らしい 思い出です、そこに参加させてくれて、辛くても楽しい・続けたいと思わせてくれて、
ありがとう、、、ありがとう、先生。 体育が苦手な私なのに、できなければできないなりに、 可愛がってくださって、ありがとう・・・・。
恐くて、厳しくて、でも、厳つい顔が、ほころぶのを見るのは、とても 嬉しかった・・・・・、先生、大好きでした・・・、大好きでした・・・・。
お葬式は、いろいろ たてこんでいるだろうから、 出席だけ、させていただくつもりです。
新盆に、、、、本を持って、あらためて お参りしますね。 先生、そっちで ゆっくり 骨休めしてください・・・・。
2007/7/16 雨にも負けず、風にも負けず・・・・ 台風が関東地方に接近していた昨日・・・。
娘と、電車で10分の隣の市の映画館へ行き(徒歩+電車)、 映画【ハリー・ポッター と 不死鳥の騎士団】(先行上映)を見てきました。
先行上映の、しかもネットで予約のチケット購入システムを利用したので、変更や取り消しが聞かず、行かなければ、そのまま、
チケット代を損することにもなります。 が・・・相手は、台風。
もし、電車が不通となれば、あきらめるしかないと 思っていましたが、幸いにも、外を歩けないほどの雨や風ではなく、
そして、電車も(我が家は小田急線利用)、箱根登山鉄道は、運行を取りやめており、小田急線も、箱根湯本~小田原間の運転を見合わせていましたが、
小田原~新宿は通常通りの運行でしたので、晴れのときより、多少、時間を多めに見て、、、早めに家を出ることにし、、、行ってきました。
案外・・・、わたしたちの行動範囲では、雨も、風も、それほど 酷くなく、無事に、映画館に辿り着き、& 帰ってきました。
【ハリー・ポッターと 不死鳥の騎士団】 原作&邦訳をすでに読んでいるので、ストーリー展開・流れは、確実に追えるのですが、
やはり、あれだけ 厚い・濃い中身を わずか二時間の枠に収めるのは、難しいなあ~・・・ せっかく映像の迫力があるのに、
ストーリーが薄っぺら悔い感じてしまって、もったいないなあ~、と思いました。
二作目くらいまでは、まあ、映画だから、原作のすべてを 含める&原作どおりに 二時間をつくるというのは、無理だろうから、
仕方ない・・・、二時間の割りに、上手く出来ていた、楽しかった!と思えたのですが、
本(ストーリー)が、厚く、ストーリーが込み合ってくればくるほど、二時間では、足りないような気がしてきました。
多くの映画が、平均すると2時間ですが、中には、3時間近い長編というのもありますから、ぜひ、ハリー・ポッターシリーズも、
あまり、原作の内容を空かすかにした映画ストーリーにせず、もうちょっと鑑賞時間をかける作品となってもいいのではないか、と
思いました。
そしたら、このシリーズ5作目も、もっと わくわく・・どきどき・・じれったいさも、悲しさも、、、スクリーンから 伝わってきたのではないかなあと
思います。
しかし、この二時間前後の限られた枠の中で、「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」(邦訳は、このシリーズから、上下巻になっている)を
あれだけ、一応のポイント(これまでの作品と、次のストーリーへ繋ぐ共通したエピソードなど)を含み・抑えて、しかも、”売り”である魔法の世界と
人間の世界の違いの面白さや魔法の不思議さを 盛り込んでいる、それは、素晴しいなあと思います。
このように、原作と映画との内容にギャップがでてしまうのは、おそらく 他の作品でも同じ課題というか、しかたないことなのかもしれません。
原作を読んでしまっているので、 もっと、あれもこれも!!!と欲張ってしまう、期待してしまうという 欠点はあるけれど、
逆に、映画だけだと、一見、つじつまが合わないような、一瞬だと理解するのが難しいような場面を、原作を知っていると、自分の中で、
繋げることが容易になり、理解しやすい、という利点もあります。
原作を知らずに、そのまま 映画を見て、それを充分に楽しめれば、それに越したことがないのかもしれません。
でも、原作を知っているから・・・映像で表現された世界も見てみたい、前作を知っているから、続きが見たい、そういこともあるなあと思います。
いずれにしても、もっと時間(映画の)があったらなあ~、と 前回同様に、感じたことは否めませんが、映画ならではの迫力、ハリーポッターの本ではなく、
映画としての面白さや登場人物のあり方など、いろいろ楽しめました。
雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ 面白いストーリーを持つ・・・「ハリー・ポッター」でした。
2007/6/18 どんなもんだろう~ 「水辺の馬」政治って、あんなに 強引で いいんだろうか?
決めなくちゃいけないこと、方向性を明らかにしなくちゃいけないこと、
すぐにでも実行しなくちゃいけないこと、たくさんあるのはわかるけど、
なんだかな~、
小泉さんの時にもましても、今回は、強引な気がするな~。
パパ・プッシュに負けじと イラク戦争を起こした、現ブッシュ大統領みたいに、自分の政治の成果を見せ付けたいとか、
何か結果を残して評価されたいとか、そういうことが先に来ているような・・・気がする。
それって、違うとおもう・・・結果は後から、ついてくるし、評価は、その、さらに後から、付いてくるから、結果を求めて
何かを強引に進めても、、、それは本末転な気がする。
目的、ゴールを定めて 努力すること、進むことは大切。
「結果が出せなければ 仕方がない」ということも 解かることは解かる。
しかし、プロセスを蔑ろにして、結果に飛びついても、、、後から 崩れることが多い・・・・。
どうも、、安倍さんは、小泉さんの例があるから、あまりピンと来てないのかもしれない・自分は指示されて総理になったんだと思って強気なのかもしれないが、
「美しい日本」の特質とも言える「謙虚さ」とか、「奥ゆかしさ」とか、「ひたむきさ」みたなものが 逆にかけていて、
戦後何某からの脱却と言いながら、その戦後・欧米教育の、日本に”勘違い”をもたらした、自分の言い分を通すということ、
(わがままと 個人主義は違うもの。しかし、日本では、自分の責任や他者との強調を後回しにした自分本位のことが個人主義と
受け留められている帰来がある。)そういうことを彼自身、戦後教育で育った者としての側面を出しているように見える。
語っている理想と 行っていることに、ズレがあるような・・・。
「団塊の世代の子育て」 の特徴をして、いまの、理不尽な要求を学校や教師に求めるという親(団塊の世代に育てられた子供が、今保護者となり、
学校や教師に、ヘンな独善的な 要求をする親が増えている ) が出ている、という評があった。
安倍さんの言っていることや、やり方も、理不尽とは言わないまでも、 まさに、そんな印象だ・・・・。
強引なのは、良くないよ・・・
パンツの紐だって、引っ張りすぎると 切れちゃうよ。。。
普通の輪ゴムも、使い方次第では、用を成さないよ。。。
牛や山羊だって、どんなに引っ張ったって、動かない時は動かない、、
でも、それで鞭打っても、、、ダメなものはダメ・・・。
「馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることは出来ない」 ということわざがあるように
水を飲めなくては、馬は弱る・・・。馬にだって感情・気持ちが あるのだ。
消化不良を起こしたら、人間だって、お腹かを壊すのと同じ・・・。
強引にことを進めても、消化不良を起こしては、また、厄介なだけだと思うけどなあ~。
2007/4/26 疲れると・・・疲れると、わがままになる・・・
疲れると、皮肉っぽくなる・・・
疲れると、怒りっぽくなる・・・
疲れると、ちょっとしたことでも 責められてる気になって 涙が出てくる・・・
疲れると、投げ出したくなる・・・
疲れると、閉じ篭もりたくなる・・・
疲れると、優しくしてほしい・・・って おもう
でも、疲れると、素直になれないこともある。
「子供って、眠くなると 機嫌悪くなって、駄々こねるじゃん_?! 今、私、そんな感じ~。」と
娘が言った。
子供だけじゃないよね、大人だって、疲れたり (眠くなったり) すると、機嫌悪くなる、、、
そしてため息も 増える・・・。
もう直ぐ連休、
少し 気分転換、体も心も 休めたいなあ~ と思っている今日この頃である。
2006/10/24 眠る読書の秋にしよう、と 考えていたので、 さあて、今日は、じっくり 本を読もう!と
それも、BGM に クラシック音楽のCD なんぞを かけて、 椅子に腰かけ、いざ!
ところが、
一ページも終わらぬうちに、目が・・・・ 瞼が 重く・・・・目が閉じて。
なんどか そんなことを くり返し、そのまま 寝てしまった。
首が痛くて 目が覚めて・・・・
椅子から降りて、 布団を 一枚、 クッションを 枕代わりに、
ごろん、と横になった・・・。
結局、計三時間。。。。 読書ではなく、昼寝。
娘が生まれた頃、あかちゃんというのは、その必要があって、眠っているのだから、
どこかで 読んだか・・・聞いたか・・・・ そんな覚えがあって、
~~~ それに、新生児のうちは、特に、 眠るか、泣くか なので、 寝ていてくれる方が、
こちらとしては、ありがたい。・・・・ 掃除も出来るし、台所仕事もできる。 ~~~
睡眠というのは、体が 欲している時は、 === おとなでも === それに従う方が よいのではないか、というのが
持論になった。
勝手な、理由付けなのだけど~ 今日も、結果的に、読書よりは、体が必要としている 昼寝になった・・・・。
明日こそは、読書するぞ~!!!!
2006/10/9 幼い日の夢 と 生きる糧10月初めから始まった NHIK 朝の連ドラ『芋たこ なんきん』 で、時々、主人公の回想シーンのようにして 子供時代が出てくる。
主人公・町子は、原案作者の 田辺聖子さんをモデルにしているということだけれど、その少女時代、彼女はいつも大好きな小説・お話を書いていて、
夢は、小説家・・・ということ、そして、家族のために働きながらも、その夢をあきら愛ず、今、ようやく大きな賞をもらった!というところに来ている。
初めの1週間、このドラマを見ていて、思い出した。
私も・・・・小学生の頃は、よく書いていたなあ~って。
子ども時代の町子ちゃんほどではないけれど、そして、大人になってからの私は、地道に 夢にむかって書き続けていた町子さんほどの 根性は ないけれど、
確かに、、あの頃は、次から 次へと 思いつくままに書いていた。 作品の中身が どうであるというより、
そして やっぱり 誰かに読んで欲しい、という 気持ちがあったので、書いたものを綴じて 教室の後ろのボードに 掛けて置いたりした。
そのうち、人の目・・というものが 気になりだしてからは、あまり ”お話”は、書かなくなり、中学生の頃は、もっぱら 詩 や 詞 を書くようになった。
かなり 後になってから、 その子の 人生における 天職、天分みたいなもの、もしくは 生かしたら伸びるだろう才能 というものは、
幼児期~ 子供の頃に、 子どもが 喜んで、自ら やる気を もって 取り組んでいるもの・・・・ 誰に何を言われなくても 好きにやっているもの、
それに関するモノが、本来は、将来の仕事に 結びつくはずのものなのだ、それが生かせたら好きなことで食べて行ける(他人からみて、どんなものであろうと。)と、
というのを 読んだことがある。
たとえ 男の子であっても、もし お母さんのそばで お料理に興味を持っているような子は、 警察官とか よりも、 シェフとか、 何か料理の職人さんとか、
また、 黙々と絵を描くのが好きな子だったら、”絵は、趣味にして、就職は、普通の事務にしなさい、”とか、 お給料が良さそうだからといって別の仕事を選ぶよりは、
絵を描くことに関連する仕事を選ぶ方が、 本人の精神力&才能が生かされる・・・ そういうことだ。
生きる糧というのは、食べることでもあるけれど、
気持ちの中に、張り合いとか、喜びとか、精神的に満足するもの、 情熱を持ち続けられる何か、があってこそ、 生きがい・・・ 生きる糧 となるのだろうと、思う。
さて。。。
私は、幼い頃から、ピアノを 習っていて・・・ 自ら、習いたいと言い出したのだが、・・・
これも、受験で、方向が変わった。
ピアノよりも、声楽が向いていたのだけれど、結局、 先生と折り合いが付かず、
小さかった頃は、 どこかの音大を出て、例えば、小さくても ピアノ教室の先生みたいなことが出来たら、(手に職があれば、万が一、未亡人になっても食べて行けるかもしれない、
ということまで 当時、考えていた!) いいだろうなあ~ と思っていたのだが、それでは、いつしか、 満足できなくなっていた。
今も、ピアノ は 時々弾くし、歌も歌う。 が、 ピアニストとか、演奏家になるほどの 他者と比べて秀でた才能があるわけではない、というのが
高校の頃に、判ったし、音楽家・・・に、なりたいというほどの 熱意は、もてなかった。 音楽家と言う人たちとは、住む世界がちがうかも、とさえ 思った。
そして、もうひとつ、幼い頃から、誰に言われたわけでなくても、 好きでやっていたもの・・・それが、 ものを書くことであったわけだけれど、
連ドラの主人公・町子さんほどには、、情熱が続かなかったのが、私にとっての現実だ。
幸い、今のご時世、こうやって ブログなどで、好き勝手なことを 書いたりするチャンスは、いくらでもある。
書いてお金をいただく、ほどになってはいなくても、好きなことを続けている・そういう 時間とチャンスがある、=たまに、誰かが、自分の書いた物・小説でないとしても、
それを読んでくれるというのは、嬉しいものだと思うのだ。
でも、ちょっとだけ、、、、そのドラマの町子さんを見ていて、、、また、書いてみようかな~ なんていう 幼い日の夢を思い出し、そんな気になった1週間でした。
2006/9/30 人間って・・・人間って、ウィルスみたい。って思った。
だって、、、ほら、 ”新大陸” だtの、”暗黒大陸”だの、”天竺” や”ジパング” っていう 未知の世界へ冒険したり、
アラスカだって、ヒマラヤだって、アマゾンだって、砂漠だって、南極だって、どこにだって 開拓して、人が住めるように、
また、人の夢を満たすように、人の生活を潤すための資源開発のため、ど~んな ところにだって 進出する・・・・。
侵攻し、猛進し、どんどこ どんどこ 開拓していく・・・・。
すごいよね~、。好奇心や冒険心への尊敬を通り越して、 あきれてしまう・・・ その貪欲さには・・・。
ウィルスって、「え? なんで こんなんところに、」 「え? いつの間に・・・」 「え? 嘘でしょ、厄介な!どうしたらいいよの~!」 って、
言うほどのところへ ひそかに 粛々と 進み、 侵食している・・・・ 人間と 同じ・・・だな~って 思った。
2006/9/26 秋晴れの中。 この週末、娘の文化祭を見るという理由で、新潟から両親が上京して来ていた。
前回、両親そろって来た時は、真冬で、晴れている関東の冬をいつもテレビの天気予報で身ながら、羨ましいといっていた
のに、残念ながら、その時はかなり寒い雨もチラホラと
今回は、週末は雨模様の天気予報だったにもかかわらず、先週はなんとか、週末まで、降らなかった、どころか、週末は、思った以上に
晴れて、
両親が上京してくれて、一緒に過ごすのは、嬉しいのだけれど、普段の、生活が違うので、1番、困るのは、食事だ。
私が実家に帰る時は、問題は、ない。 むろん、和食なのだが、昔からの食べなれている食材で、調理法であるし、娘も、離乳食の頃から
私の実家の食卓には、なじんでいる。
しかし、普段の私が生活している場での食事は、というと、外国を周ったせいなのか、単に 私が怠け者であるためか、それはどちらとも
言えないが、私の両親の口に合うようなもの・・・・かどうか、微妙なところである。
以前、実家に帰っていた時、「ビーフ・ストロガノフ」を娘が食べたいと行ったので、作ったことがあった。 といっても、そんなに本格的なものではなく、
昔、NHKかなにかの料理紹介本に載っていた調理法で、味付けは、生クリーム、トマトピューレ、(+私は、ケチャップも、)、がベースになっている。
ところが、父は、一応、食べたものの、”どうも好きになれない”、という感想を漏らしていた。
「ビーフ・ストロガノフ」は、一例だが、こんな具合であるから、例えば、私がこちらで普段、食べなれているものが、必ずしも、両親の口に合うわけではない。
前回、冬の寒い時に来た時は、父の兄弟の家とホテルに宿泊したので、我が家には、昼間立ち寄っただけだったが、今回は、泊るため、どうしようか、と
考えた。 私のところに泊る前に、両親は妹のところで一泊してくる。あちらは、カレーにすると言っていた・・・。
結果、私の結論は、: 夕食は、文化祭帰りに、駅ビルのショッピングエリアで、お惣菜や、出来合いのお寿司など、両親の好みのモノを選んでもらい、買い込んで
一緒に帰宅。 手軽に済ませた。 その方が、後片付けも、手軽に出来るし、その分、私も時間が取れて、助かる。
ふだん我が家も、コーンフレークやトーストということも、よくあるが、朝ご飯は、どちらかというと
和食系の方が、お腹に入りやすいらしく、娘や配偶者も、パンが続くと、「また~?!」というものの、ご飯+味噌汁が続いても、文句は言わない。
忙しい時は、コーンフレーク様さま、という感じだが、みんなで食卓を囲む時は、ジャムや チーズを囲んでパン食にしたり、和食の方がいいようだ。
前に住んでいた中東の国では、パンを、オリーブオイルに ザータ(ザータル)といった ハーブ+胡麻 のようなものを付けたり、、または
パンに、ヨーグルト(塩味、水分の少ないタイプ)をつけて食べるのが、一般的な朝食で、とても、シンプル、簡単だ。 もちろん、食卓には、オリーブの
ピクルスとか、タマゴ(ゆで卵のようなもの)、紅茶、きゅうり・トマトといったものも並ぶが、日本の和食、日本人の朝食のような変化は、ないといえる。
一度、日本から、ヨルダンへ遊びに行って、友人宅にお世話になったとき、彼らは、わざわざ私と娘のために、朝食用のコーンフレークを買ってきてくれた。
私はアラブ式の朝食でも、構わないが、娘は、どちらかというと、コーンフレークもあれば嬉しい・・・と言ったからだった。
娘の友達(=娘のかつての同級生宅にお邪魔したので。)も、これ幸いとばかりに、コーンフレークの朝食を楽しんだようだ。
また、豪州でも、アフリカでも、こちらは、米国のドラマでもおなじみ、コーンフレークや、ヨーグルト(中東とは、ちがうタイプ。日本にも流通しているタイプ)、
トースト、パン(焼かない)、チーズ、場合によっては、ハム、ベーコン、タマゴ、が付く、という感じ。 ドイツでホームスティをした時は、米国のタイプと
また少し違って驚いたが、どちらにしても、和食や日本人の食卓ほどの バラエティ、変化は、ないといえるだろう。
去年、タスマニア(豪州)の友人宅に泊った時も、友人は、私に、「適当に、紅茶かコーヒーを入れて、適当に、コーンフレークの入っている容器から、好きなだけ出して、食べてね、チーズやヨーグルトも、適当に冷蔵庫から、出して・・・」、と説明した。 シンプルなメニューというだけではなく、セルフサーブが期待されているのである。 もちろん、私と彼女の忌憚のない仲において、そのセルフサービスは、当たり前ではあるけれど、もし・・・和食をセルフサービスで、というのは、、
(ホテルのビュッフェに用意されている和食メニューはあるけれど・・・)各家庭では、かなり大変かもしれない。
上京してきた1番の理由だった文化祭の内容については、娘の美術、社会科の展示作品など、それぞれを鑑賞し、部活である美術部の大きな全体作品や、個人の作品を鑑賞し、最後のアンケートにも記入し、充分、楽しむことができただろうと思う。 生徒達がワイワイ 盛り上がっている各教室の催し物は、高齢者には、刺激が強く、覗かなくても損した気分にはならなかっただろうと思われる。
が、普段みている地元の小中学校の文化祭などとは、また違った様子、自分の孫がどんな場所で学んでいるかということを目の当たりにして、足を運んだ甲斐が
あったと、思ってくれたとしたら、幸いだと思う。
シンプルな朝食を時間をかけて食べて、お茶をゆっくり飲んで、昼頃、両親は、帰路に着いた。
池袋まで私は見送ったのだが、この二日、一緒に歩きながら、「やれることは、出来るうちに、やっておこう、」と思ったりした。
自分のことというよりも、「いつまでも、あると思うな、親と金」のことである。
普段、親孝行など 意識しないで生活しているが、高速バスに乗り込んだ両親に手を振りながら、また元気で年末年始・正月に再会できる・・と
そう、思い込んではいるものの、両親も”老人”という域に入っている今、何が起こるかわからない、そう思うと、何やら、寂しい気持ちもした。
離れて暮らしているのだから、見送る時に、お互いが辛いのは、仕方がない。
しかし、若かった頃、20年前は、「じゃあね~」と、特に相手(=親)の先のことなど考えずに別れたものだった。が、
近年は、実家から両親に見送られて帰ってくる時も、こうして、両親を見送るときも、「次、会うときまで、なんとか、無事に、元気で・・・」と、思うようになった。
雨にも降られず、秋晴れの週末、お天気が好かった、それだけでも、良い時間を共有できて幸いだったと思い返している。
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